2018/10 16
2014/05 19

かねてより準備していました会社設立がほぼ完了しました。
今回の会社は、理研ベンチャーという仕組みを使って、理研の知財をライセンスしてもらうことで事業を興す形を取っています。理研ベンチャーは現在20数社あるらしいです。ぼくの会社もその一つになります。

社名は、株式会社SR laboratoriesです。

いまのところヒトを雇用するお金も無いので、今手伝ってくれているみんなは半ばボランティアですが、早くみなさんにきちんとお給料を払えるように頑張りたいものです。

SRラボと言っても、最初はSRがメインなのではなく、パノラマ動画アプリとカジュアルHMDを中心とした体験パッケージ提供ビジネスです。まずはパノラマ動画をHMDで見るという全天球体験を一般の人々に広めてから、次のステップとしてSRコンテンツをシレッと出して行きたいと思います。なんと言ってもSRは分かりにくいから、いくつかの中間段階を踏まないとダメだと思ってます。
でも、多分全天球映像の体験の後には、これまでの平面画面での体験が物足りなくなるのは間違いないので、まずは誰でもいつでもパノラマが見られる環境を作りたいと思います。

これからはSRラボのCEOと理研のPIの二足のわらじを履く訳ですが、これまで以上にみなさんの力を借りる事が多いと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。

2013/12 23

最近、Oculus Riftとかジェミノイドとかを実際に自分で操作したり、体験したりして、SRでも色々な事をやってみて、色々考えたのを書き付けておく。

まず、Oculus Riftの広視野角というのは間違いなく正義で、あのおかげでいわゆる臨場感というのは格段に向上している。それは間違いない。
一方で、Oculus環境で見えているものは、スクリーンに通常映しているものの拡張が殆どで、コンテンツとしては殆どがこれまでの延長であることが多い。FPSなんかをOculusで遊ぶっていうのがその典型で、インターフェイスとしての没入型デバイスにすぎない使い方が多い。この場合は、別にHMDである必要もなくて、マルチウィンドウでもドーム型スクリーンでも構わない。
それと違うのは、Oculus空間内でのアヴァターとのインタラクションで、 これは明らかに前者の使い方と異なっている。例えば、ミクと視線を介したコミュニケーションを行うと、別に周りの空間が人工的だとかミクが作り物であるとかは全く関係なく、ココロの中に瞬間的に立ち上がる他者の実在感にビックリする。これは、別に触覚や嗅覚などは全く必要とせず、視覚のみで瞬間的に立ち上がる何かで、全てが偽物であると分かっているだけに、その自動的な立ち上がりに動揺せざるを得ない。というか動揺した。

それと似ている感覚は、ジェミノイドを見ているときにも発生する。たとえば、米朝の落語をジェミノイドを使って聞くと、ジェミノイドは明らかにロボットの動きしかしないし、骨格も自然とは言い難い。しかし、瞬間的にこれは本物かもしれないとハッとすることがあって、しかもそれが結構頻繁に起きることに動揺する。つまりそれは、そこには間違いなくエージェントは存在しないと分かっていても、その信念を裏切って、自分の心の中に強制的にエージェントを立ち上げてしまう仕組みが僕の頭の中にあるということを示している。

SRでの体験はそれらとはやや異なっている。SRでは、見えている映像は現実もしくは現実から地続きに与えられる仮想的な現実であることが殆ど。なので、目に見えている他者にエージェンシーを感じるかどうかというのは予めクリアされている。つまり、SR内では映像の中の他者にエージェンシーを感じないということはあまり無い。
とはいえ、SRを使ってミクやジェミノイドが与えるようなエージェンシーを持たない存在にエージェンシーを瞬間的に付与することは不可能ではなくて、映像上演出的に明らかに仮想的な存在だと思わせておいて、身体接触を行わせたりすると、誰もが一瞬混乱した後に、その接触を現実だと考えるように過去の主観を操作して話を作り上げてしまう。

そういう類似の技術と比較してのSRの利点というのは、映像上の他者に対して、エージェンシーを長時間維持する事が出来る点かもしれない。ただ、これは必ずしもエージェンシーを積極的に維持しているという訳では無く、単純にこのヒトは確かに存在するという瞬間的な判断と、その判断を疑わないだけで良いのかもしれない。
言い換えると、ぼくたちの他者に対する実存感覚というのは、それが立ち上がった後は、疑う理由が無ければ自然に維持されるようになっているのかもしれない。ジェミノイドやOculus環境では、視覚的には偽物であることが明らかなので、一旦立ち上がった実在知覚があっという間に壊されてしまう。この壊すきっかけを与えないことが、自動的に立ち上がる他者性を維持するための秘密なのかもしれないね。

2013/12 22

昨日、稲見さんが座長のニコニコ学会βの研究100連発でトークした。

前回もお誘いをいただいていたんだけど、20個もネタ無いよと思ってお断りしてたら、池上さんとか岡ノ谷さんが話してるの聞いて、これなら僕にも出来るかもと思ったので、引き受けた。稲見さんからのお願いは断れないしw。

で、やってみたらすごく面白かった。前回のニコファーレは客としての参加だったんだけど、それとは全然違う参加者だけが感じる面白さ。それって、TEDxTokyoでスピーカーとして参加するのと、聴衆として参加するのが全く違うのと似ている。正直それが何なのかうまく言葉に出来ないのがもどかしいんだけど、終わった後の達成感はすごく似ている。

TEDxTokyoのフォーマットは、全てが入念に準備されている。スピーチの原稿を起こして、それをきちんと時間内に話すというスタイル。アドリブを挟む余裕は普通は無い。だから、トーク直前の緊張度はマックスで、やってみると本当に辛い。終わると喜びに変わるんだけど。

一方のニコニコ学会は、普段の講演と同じように緊張なく望めるけれど、それとは違うライブ感がある。とにかく気持ちがアガル。ニコファーレの大きさは、普通の大学の少し大きめの教室と同じ程度。でも独特の空間。 同じニコニコ学会でも幕張とはやっぱり違うらしい。

TEDxTokyoはプロフェッショナルかつユニークであることが強く要求されるのに対して、ニコニコ学会のフォーマットは学芸会に近い。学芸会は誰でも出られる。でも、知り合いのみんなは温かく見守ってくれるけれど、文脈を共有していない聴衆は冷たい。だから、誰でも出られるかわりに、聴衆に満足してもらうためにクオリティが要求される。それは瞬間的なネタでも構わないし、深い洞察力でも構わない。それぞれの芸風に応じたフォーマットが立体的に構築されているのがニコニコ学会の面白さなんだろうね。そういう意味ではTEDxTokyoのフォーマットは平面的でそれ自体は面白みが少ない。

TEDxTokyoのスピーカーがそのままニコニコ学会で通じるとも思えないし、その逆も無い気がする。例えばブラックさんがニコニコ学会でヨーヨーパフォーマンスを見せてくれても、スゲーんだが「何か違う?」感は出て来るだろう。キュレーションという点では、ニコニコ学会の方がバランスを取るのが大変な気がする。

多様なものを飲み込むフォーマットとしてのニコニコ学会の形は、すごく面白いと思うし、それは参加しないと分からない。プロが集まる学芸会には誰でも参加可能だから、我こそはという研究者は参加してみると良いよ。すごく楽しいから。

江渡さんありがとうございました。

2013/12 20

ミニくまちゃんとシータ2 – Spherical Image – RICOH THETA

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