3月 07

認知科学の社会への貢献を考える。おそらく社会は、科学への投資の短期的な回収は望んでいないだろう。科学がそのようなモノに役に立たない事はすでに過去の歴史から実証済みで、もしそれを望むなら、すでに科学は衰退していてもおかしくない。しかし、現実に科学は存続している訳で、それゆえ社会の科学への期待は短期的回収にはないと言って良いだろう。では、何を期待されているのか。

以前に毎日出版文化賞をいただいた時に書いたエントリーで、「科学の目的は、自然が怖いから、灯りをつけて回るため」だと書いた。今でもそう思うけど、それを一歩進めると、灯りをつけるというのはどういう意味なのかと考えなければいけない。

石黒さんは、「ロボットとはなにか?」で、「ロボットを作るという事は、哲学する事」であると言っている。石黒さんは、僕なんか足下にも及ぶ事のできないマッドサイエンティストだが、同書を読みながら、なんとなく似たような事を考えているのだなぁと思った。

もしかしたら、実は、先の灯りをつけて回るということは、石黒さんの言うところの哲学するということなのじゃないだろうか。現実の哲学者は、問題を上手に整理してくれるヒト達だけど、実際の解決能力はあまり期待出来ない。なぜなら、検証に必要な人知を超えた操作ができないから。ところが、科学者はそれができる。自然の中に隠れている、見えないもの、それまで無かったものをひっぱり出してくる事が出来る。それは、僕たちの経験則的な世界の見方、社会の見方を根本的に変える可能性を秘めている。石黒さんは、「タブーを引き起こす事が大事だ。芸術と科学が違うのは、科学はタブーのギリギリを攻めないといけない点だ。芸術はそこを超える事が出来る」と言う。僕もそのとおりだと思う。

半歩先を進むのは振り返れば仲間がいるから安心出来る。だけど、ヒトの道先案内人の役割は果たせない。灯りの役目は他のヒトから少し離れた所に無いと意味が無いから。
離れた所を一人でグイグイ歩くということは、後ろに誰かがついてくるという保証は無いし、不安だらけだ。でも、社会からの投資に応えるためには、そこを果敢に攻め続ける以外に無いに違いないと、石黒さんの本を読みながら思った。つまり、科学者の社会貢献度はその研究態度に現れるということだ。

近頃は、社会還元というお題目が盛んに言われるけれど、ギリギリの所を不安を抱えながら進んでいない科学者には苦痛に違いない。なぜなら、語るべきオリジナルの哲学を持てないから。引用や参照ベースの思索から突拍子も無い変わったアイディアは生まれにくいのだ。
社会還元のためのアウトリーチとは、プレスリリースのように実験の結果を伝える事ではなくて、科学するときに沸き起こる思索の過程と、その結果自分のココロが揺らぐ経験を伝えることなのじゃないか。僕には、今の自分が出来る社会還元はそれ以外には見いだせない。なぜなら、具体的な研究結果の詳細を一般のヒトと共有して、一緒に考える事は出来ないけれど、経験や思索は共有して、より良い社会を作るために一緒に考える事が出来るから。
そこには、サイエンスリテラシーは殆ど必要ないだろう。誰にでも分かる平易な言葉で、思索と経験を語るだけで良いのではないだろうか。それは、科学者以外には出来ない特権なのだ。だから、科学者はもっとその特権を使うべきだ。

石黒さんの「ロボットとは何か」は、そういう視点で読む事をお勧めする。ヒトを理解するためのマッドサイエンス。実に潔く羨ましい方法。僕もマッドという点で負けたくないぞ。

3月 07

2年に一度行われる大学の同窓会に参加した。当然の事ながら全員少しずつ年をとって来ている。同窓会は、自分の現状を推し量るには丁度良い機会だ。同期というものは、特に医学部の同期というのは、自分がそうなるかもしれなかった可能性の一つを示していて、本当にいつも興味深い。同じ職種にほぼ全員がついているという点で、他の学部と比較して特異かもしれない。

みんな臨床家として、とても頑張っている様子がよく分かる。現場を支える彼らがもっと報われるといいなぁと思う。2年前は、医療崩壊が始まったまっただ中でみんな苦労している様子が見えたのだけれど、もはやそれが恒常的になって、文句を言うよりそれを前提にしたシステムをなんとかしようとしているみたいだった。選択肢を一つ変えれば、間違いなく僕も彼らと同じように四苦八苦していたに違いないと考えると不思議な気持ちになる。

そんな中に混じって、自分が何物なのかという事をいつも考えてしまうのだけれど、本当に年をとればとる程、自分がどこに向かって何をしていくのかが見えなくなっている。果たして、誰のために、何のために巨額の予算を使って研究を進めているのか?本当にこれで良いのか?悩みは尽きない。

同窓会の帰り道では、「もっと頑張って、次の同窓会ではそれをみんなに見てもらおう」といつも思う。先が見えない不安は、逆に言えば今とは違う可能性が広がっているのだと思えば良いのだろうと考えるしかない。となりの芝は青いもので、同期のそれぞれが似たような不安を抱えて生きているのはよく分かる。いずれにしても、不安を抱えながらでなければ現状を変える事はできない。不安の無い人生より、不安だらけの人生の方がきっと自分にとっても社会にとっても良い事なのに違いないと言い聞かせる。

来年は卒後20年。果たしてそこで僕はみんなに何を話せるのだろうか。楽しみでもあり、不安でもある。

3月 05

上がったり下がったり。みんながんばってます。大丈夫、きっとなんとかなるさ。それもこれも、産みの苦しみ。

明日は仙台で大学の同窓会。昼飯後の2時から6時までの4時間、誰か暇なヒトいたら連絡ください。まあ、漫画喫茶で昼寝も良いんだが、大人としてそれもどうかと。

3月 03

SDIM1186

移動知シンポジウム帰りに、仙台駅の立ち食い寿司北辰寿司へ寄ってきました。本マグロの頭、スジ、尾、皮とか変わったところを炙った奴らに普通のマグロシリーズ、北寄貝、赤貝、ツブ貝、カワハギ、ホヤ、イカワタ、カニ、ホタテなどケース内の一通りのネタを3人でたらふく食べて、3人で10000円。お昼で、飲んでないというのを考えても驚異的なCP。この値段が10倍になっても、美味しさはせいぜい2割増し程度だろうから、僕はこのレベルで十分というか、これ以上いらない。写真をみて分かる通りikegもたけちゅーも大満足。ウマー!お勧めです。

3月 03

講談社の雑誌「本」に「ソーシャルブレインズ入門」のPR用エッセイを書かせていただきました。面白いという声がいくつか届きましたので、講談社さんのご好意で、こちらに転載させていただきました。

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今度刊行した『ソーシャルブレインズ入門』(講談社現代新書)は、ヒトやサルなどが持っている、他者とうまくやるための脳の仕組み、社会的脳機能(ソ ーシャルブレインズ)について解説した本です。
僕がなぜ、このような研究を始めたのかと言えば、他人の目や言葉が気になって仕方がなかったからです。

いままで四〇年間誰にも話したことがないのですが、ソーシャルブレインズ研究を始める大きな動機づけになった、僕が幼稚園の頃の話をしようと思いま す。

幼稚園で園児向けのバザーが行われたときのことです。普段、自分のお金を自由に使う機会のなかった僕は、とてもわくわくしていました。あっちの出店 に行き、こっちの出店に行き、何を買おうか真剣に悩んでいました。

そこに、よそのお母さんたちの会話が耳に入ってきました。

「年長さんたちが買うものはやっぱり違うわね」
「どういうこと?」
「年長さんには、地球ゴマみたいな大人っぽいものが人気なのよ」
「そうなの?」

僕に聞こえてきたのはそれだけで、前後の会話はわかりませんでしたが、さあ、その会話を聞いて、僕は何を買ったでしょう。

そのとき、僕が考えたことは、こんな感じです。
「年長さんっぽく見える年少さんというのはカッコいいに違いない」
「それでは、年長さんっぽい買い物をすればいいじゃないか」
「じゃあ、地球ゴマを買えばいいのかな?」
「地球ゴマ欲しいなぁ」
「しかし、それでは芸がないではないか」
「それじゃあ、年長さんっぽく見える他人と違う買い物はないだろうか?」

そのような熟慮に熟慮を重ねたうえで僕が買ったのは、結局トランプでした。「トランプ?」と思われるかもしれませんが、当時四歳の僕はトランプを買う 自分がカッコいいと思っていましたし、本人にとってその選択は会心の一撃の つもりだったのです。だから、「ここでトランプ選ぶってすごいカッコいいね。 君、本当に年少さん?」というようなほめ言葉を誰かがかけてくれるのを期待 していました。

でも、実際には何も起きませんでした。トランプを売ってくれたおばさんも何も言ってくれなかったし、友達や親にトランプを見せても何も言ってくれま せんでした。

これは、僕の中で、もっとも鮮明に残っている人生初期における失敗体験です。そのときのものすごいガッカリ感をいまでも覚えています。いったい何が 悪かったのでしょうか。

ソーシャルブレインズとは、冒頭で述べたように「ヒトがヒトとうまくやるための脳の仕組み」です。

わたしたちの脳は、社会的な情報にきわめて敏感です。自分のまわりの人々がつくる「空気」を読み、その「空気」が示すその場のルールに従おうとします。「空気」というルールは常に揺れ動いています。さっきまで正しかったこと が、数秒後にはまったく間違いになることもしばしばです。そのような、不安 定な社会的なルールに従って生きているのが、わたしたちヒトです。そして、 そのような社会環境文脈の変化に敏感に反応し、それに対して適応的に行動を 切り替えてくれる仕組みが、ソーシャルブレインズという脳の働きなのです。

最初の話に戻って、僕のトランプ事件をソーシャルブレインズ的に解釈するとどうなるか、考えてみましょう。このケースは、「他者からの社会的影響によ って選択の指向性が影響を受け、さらに社会的な自己評価を高めるため、より 環境に最適化しようとして失敗したケース」ということになります。

当時、僕は、何を買うか決めかねていたところに、まず、お母さんたちの会話を聞いて地球ゴマが欲しくなりました。「年少さんなのに年長さんみたいだわ」 とほめられるのを期待したからです。しかし、それに飽き足らず、さらにもう 一歩踏み出し、より高い社会的評価を勝ち取ろうとしたのです。本当は、僕は トランプなんか欲しくなかったのです。でも“他の子供たちとは違う、しかも 年長さんより年長さんらしい”という社会的評価を獲得するには、そういうリ スクを厭わずチャレンジする以外になかったのです。

それ以降、僕は、学生時代も大人になってからも同じようなことを繰り返してきた気がします。主流を選べば楽なのに、他人の目が気になって主流を選べ ない。そのような失敗の連鎖が、僕には不思議でなりませんでしたし、他人の 目が気になって仕方がない、素直になれない……そんな自分の性格をなんとか できないものかと悩んでもきました。しかし、いつもどうしてそうなってしま うのか、理由を客観的に説明することもできず、途方にくれていたのでした。

ところが、そんな失敗続きも悪いことばかりではありません。途方にくれ悩み続けていたおかげで、自分の悩みを解決してくれそうな、脳と社会を研究対 象とする脳科学分野「ソーシャルブレインズ研究」の存在に気がついたからで す。

ソーシャルブレインズ研究は、僕が取り組みはじめた二〇〇四年当時、神経科学の主流からは完全に外れていて、誰もまだ科学として成立させることに成 功していない研究領域でした。それだけに、うまくいけば新しい研究領域を新 規に開拓できるかもしれない挑戦しがいのあるテーマでした。言い換えれば、 リスクが高いのでそれまで手を出す研究者がほとんどいなかった分野とも言えます。

ソーシャルブレインズ研究は、最終的には、ヒトとヒトのコミュニケーションに関わる、社会的行動の脳内メカニズムを理解することを目的としています。 他人の目が気になって仕方がない僕には、「この分野を研究することを通して “なぜ自分は他人の目が気になるのか”の仕組みを知りたい」という強い動機 があったのです。

そんな下心を抱えながら、ソーシャルブレインズ研究を始めたものの、たちまち大きな困難に直面しました。なぜなら、これまでの神経科学が一つの脳だ けを対象に研究を進めていたのに対して、ソーシャルブレインズ研究は複数の 脳を対象にしなければいけないからです。そのためには、これまで蓄積されて きた方法はほとんど使えません。まず、まったく新しい方法を開発するとこ ろから始めなければなりませんでした。

そのうちに、これまで別々に扱われていた「脳」と「社会」という二つの異なる種類のネットワークを、「関係性」をキーワードとして統合的にとらえ、理 解する必要性があることが分かってきました。そのためには、ヒトのソーシャ ルネットワークだけでなく、ヒトの脳の中の階層的な神経ネットワークもネッ トワークの一部として同等に考えるという、これまでにない視点の導入が必要 でした。

これは、言われてみれば当たり前に思える考え方です。しかし、脳と社会の中にある、多層的なネットワーク階層を同等に扱い、あらゆる視点から自由に 眺める能力を獲得するということは、じっさいにはそんなに簡単ではありませ ん。そのような視点を持たなかったため、これまでの神経科学は、ソーシャル ブレインズという脳機能を扱いあぐねてきたのでした。

それでは、この「視点を自由に動かして社会を眺める」自由が与えてくれるものは、何でしょうか。それは、「物事の客観化能力」であり、「戦略的思考」 です。

この二つは、ドメスティックな視点からだけでは身につきません。物事をあらゆる角度から見る自由な視点を持たない限り、本当の客観化能力は身につか ないのです。この客観化能力を身につけるためには、過酷な作業が要求されま す。普段は隠している自分の本当の姿をいったんすべてさらして相対的にマッ プし直す自己客観化が必要になります。

さて、このような作業を通して、僕は幼稚園の頃から続いてきた失敗の仕組みを、客観的に理解できるようになってきました。だからと言って、「トランプ 事件」から続く失敗の連鎖がとまったわけではありません。ただ、いまでは失 敗しても、その理由が分かるようになってきたのです。そして、そんな失敗を 楽しめるようになってきたのです。長年この問題で悩んできた僕には、このこ とは大きな救いでした。

ここまでの話をまとめると、ソーシャルブレインズ研究を通じて、自在に動かせる新しい視点を獲得することは、すなわち、自分自身を社会との関係性に もとづいて客観的に理解し、社会で戦略的にふるまうためのツールを獲得する ことだと、僕は思います。

そのような、社会とヒトの関係を考えるツールをぎっしり詰め込んだのが、『ソーシャルブレインズ入門』です。自分と社会を上手につなぎ、いまよりも 少しだけよい世界を作るためのコツは、ちょっとした努力で誰でも身につけら れるはずです。もしかしたら本書は、家庭や職場などでみなさんが感じている 日頃の悩みの理解と解決に、お役に立てるかもしれません。ぜひお試しください。

(ふじい・なおたか     理化学研究所適応知性研究チームリーダー)

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