2月 02

test

日々のあれこれ コメントは受け付けていません。


5月 19

会社始めました

日々のあれこれ コメントは受け付けていません。

かねてより準備していました会社設立がほぼ完了しました。
今回の会社は、理研ベンチャーという仕組みを使って、理研の知財をライセンスしてもらうことで事業を興す形を取っています。理研ベンチャーは現在20数社あるらしいです。ぼくの会社もその一つになります。

社名は、株式会社SR laboratoriesです。

いまのところヒトを雇用するお金も無いので、今手伝ってくれているみんなは半ばボランティアですが、早くみなさんにきちんとお給料を払えるように頑張りたいものです。

SRラボと言っても、最初はSRがメインなのではなく、パノラマ動画アプリとカジュアルHMDを中心とした体験パッケージ提供ビジネスです。まずはパノラマ動画をHMDで見るという全天球体験を一般の人々に広めてから、次のステップとしてSRコンテンツをシレッと出して行きたいと思います。なんと言ってもSRは分かりにくいから、いくつかの中間段階を踏まないとダメだと思ってます。
でも、多分全天球映像の体験の後には、これまでの平面画面での体験が物足りなくなるのは間違いないので、まずは誰でもいつでもパノラマが見られる環境を作りたいと思います。

これからはSRラボのCEOと理研のPIの二足のわらじを履く訳ですが、これまで以上にみなさんの力を借りる事が多いと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。

4月 26

青い煙

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6月30日

青い煙が見える。戻って来た。これまで何度も経験したことだが、やはりホッとする。

 

頭からゴーグルを外すと、少しまぶしい。ぼくがいるのは直径4mくらいの白い球形の部屋だ。その真ん中に置かれた座り心地のいい赤い椅子に僕は座っている。

最近では長時間座っている事が段々苦しくなってきたので、この部屋にはあまりいられないけれど、それでも週に2回、一回1時間程度は入っている。

 

継ぎ目の殆ど分からない白い壁の一部にすっと切れ目が入り、ドアが開いて、少し丈の短い白衣を着た髪の長い女性が入って来た。

 

彼女はぼくの主治医だ。

 

ぼくはこの病院のホスピス病棟に入院している。ホスピスは、ガン等の病気で、現在の医療では対処が出来ない致死的な疾患を持つ末期の患者に対して、最後の瞬間までヒトとしての尊厳を保たせてくれるための場所だ。

 

現在62歳だが、先月突然の全身のむくみと歩行困難が現れて入院した。

 

ガンだった。

 

しかも末期。余命は長くて3−4ヶ月。肝臓ガンを原発とする転移が肺にある。肺にはガン性の胸水が貯まっていて、呼吸が浅く苦しい時も多い。肝機能だけではなく、腎機能も低下していて、とにかく満身創痍の状態だ。倒れるまでは普通に生活していたから、突然こういう状態になったことに驚いた。

 

驚いたというのは間違いないけれど、それは別にまだ死にたくないという意味ではなくて、単に自分が死ぬのは今なのかという時期的な問題で、自分の死そのものについては、あまり大きな感慨はない。

もちろん当然ながら色々な葛藤はある。残していくものへの未練だってあるし、痛みのケアのような残された時間の生活の質に関する心配事も多い。

でも、事故のように突然やってくる死とは異なり、自分の人生をまとめる時間がまだ3ヶ月近く残されているというのはそんなに悪いことではない。誰だって必ず死ぬんだから。

 

ぼくは25年の間、東京の郊外で家内と一緒にパン屋を営んできた。その前の10年の修業時代をあわせると、35年間パンを焼き続けて来た。何の変哲もない駅前商店街の小さなパン屋で、なじみのお客さんとの世間話と、店に通ってくれる子どもたちが徐々に大きくなっていくのを見るのが楽しみだった。

息子がひとりいる。小さい頃から機械が好きで、気がつけば家中のものを分解しては組み立てに失敗してゴミの山を作っていた。いまは東北大学の大学院生で、認知神経工学とかの研究室に通っている。もちろんパン屋の仕事には興味はないのだそうだ。

まあ、それも仕方のない事だろう。ぼく一代で作ったパン屋がぼくの代で途切れたとしても、誰も困らない。

 

白い部屋の赤い椅子から車椅子に移り、病室へ向かう。今日は20年前を中心として、その前後2年間の出来事をランダムに編集したものを体験した。

 

白い部屋で使っていたのは、SRラボラトリーズ(SRL)が開発したSRシステムという装置だ。SRシステムの特徴は、現実の延長としての地続きの仮想空間を現実と区別なく体験できること。

 

SRシステムが一般に普及し出したのは25年ほど前。据え置きゲーム機のオプションとして売りだされて、徐々に広まっていった。当初はゲーム用インターフェイスとして使われる事が多かったが、だんだんパノラマ映像を自由に見渡すための体験プラットフォームとして用いられる事が中心になってきた。

 

SRLは多数のパノラマカメラを独自管理している。それは世界中の1万以上の場所に設置されていて、そのパノラマ映像はリアルタイムで無料配信され、蓄積されている。このリアルタイム映像を次々と移動するだけで、世界中を自由に旅して、自分がそこにいるような感覚を簡単に味わうことが出来る。

過去25年間にSRLが記録したパノラマ動画はとてつもない情報量だが、一般の人々がその真の価値に気がついたのは、SRサービスが始まって5年くらい経ってからだった。その真の価値とは、歴史アーカイブとしての価値だった。映像を、時間軸と空間で作られる3次元空間にマップすることで、初めて生まれる価値があることにわたしたちは気がついたのだ。

 

 

SRLが撮影する過去映像データは、撮影後に矛盾無く編集する事が難しい。つまり改竄不可能な25年間1万本のタイムラインから見た人類の活動記録という意味で、SRLが持つ情報の価値は莫大なものとなった。

 

現在では、政治や公共サービスを行っているスペースにSRLのパノラマカメラを入れないということは、その場所での活動そのものが不正であると考えられるようになり、国会から始まる公的機関のあらゆる場所にカメラが設置されるようになった。その結果、より社会全体の透明度が上がったかのように人々は感じている。もちろん、それは建前上のことだが、もはやそれに抗う正当な理由を示すことができるヒトはいない。

 

一旦この仕組みが社会に組み込まれた後には、その流れは不可逆になった。現在のSRLのパノラマ映像データは2次元の場所平面から立ち上がるツリー状の時間構造体そのものであり、それぞれの連続した映像の時間軸上の一点をアンカーポイントとして、それにぶら下がる形で従来の言語的データベースが構築されている。つまり、SRLの時空間に広がるアーカイブ技術によって、25年という短い期間であるが、時間と場所、そしてそこで発生したイベントの意味経験空間を行き来することが可能な、タイムマシンとしての機能が実現された。それは、現代の人類社会には必須の機能として社会に組み込まれている。

 

ぼくが今日体験したSR映像は、丁度20年前を中心とした前後2年の合計4年間の映像で、SRL管理の動画としても比較的初期の映像だった。そのため、映像の質はあまり良くなかったが、それが原因か妙な現実感が生み出され、現在の高精細の映像とは異なる体験が出来た。

 

体験時間は1時間だったが、その1時間の間に、世界中の様々な地域の様々な重要なイベントがつながった膨大な情報量を持つ体験シーケンスを体験した。イベントの間には、ぼく自身がその時期に撮影したいくつかのパノラマ映像が挟み込まれていた。

 

気がつけばぼくは20年前の自分のパン屋の中にいる。

 

今より若いぼくが開店したてのパン屋で忙しそうに働いている。作業場ではまだ小さい息子がちょこまか動き回っている。一緒に働いている家内も写っている。

 

SRを使って自分自身を見る体験は何度となくしているけれど、分かっていても毎回少しドキッとする。

 

いつものように、息子はこのあとに本当に美味しそうにクリームパンを食べる。この映像はこれまでも何度もみている。ただ、今回は息子がクリームパンを頬張った瞬間、息子ではなく視線を家内の方にずらしてみた。そこには息子を見る家内の嬉しそうな顔があった。初めて気がついた。

 

それは本当にいい笑顔だった。

 

パノラマ映像は全方位の映像が記録されているので、何度も繰り返し見ても、見逃している情報が沢山ある。今日はこれまでに見逃していた家内の笑顔を見つけた。ぼくが家内と結婚したのは、彼女の笑顔がとても魅力的だったからだ。SR映像の中の彼女は、初めて出会った時と同じ笑顔を見せていた。

 

現実と同じように、今日のあの瞬間にぼくがそちらに顔を向けなければ決して見る事のできなかった20年前の家内の笑顔。SRで繰り返す事ができなければ一生気がつかなかった過ぎ去った笑顔。

 

過去に見逃したものを見つけたから素晴らしいと思うのか、それとも経験内容そのものが素晴らしいのか。いつも悩むけれども答えは出ない。

 

 

病室に戻ると、息子が来ていた。明日から学会参加で1週間ほどアメリカに行くのだという。初めての英語でのプレゼンテーションで緊張しているらしい。出張の間に何かあると心残りだから、ぜひ1週間は死んだりしないで無事に過ごしてくれと笑って帰っていった。

 

彼はいつもそうだ。予想しない物事が起きたとき、判断の線引きが早い。今回のぼくの件でも、泣くでもなく怒るでもなく、冷静に受け止めて、出来ることをしようと言った。

彼の研究室は大学病院のとなりにあるので、朝と晩に15分程度病室に寄ってくれる。朝は彼が買って来てくれるコーヒーを一緒に飲む。ぼくは長時間誰かの相手をするのは正直つらいので、その程度の時間で切り上げてくれるのは助かる。

 

ぼくの体調は日々悪い方向にしか向かっていないけれど、1週間位なら大丈夫だろう。

 

7月8日

今日は息子が帰って来る。初めての発表はうまく行ったらしい。

 

昨晩は足のむくみが痛くてよく眠れなかったが、しばらく続いた原因不明の微熱はようやく下がって平熱になった。原因は尿路感染症だと言われたが、抗生物質が効いてきたらしい。食欲が戻って来たので、赤魚の煮付けと里芋の煮物でご飯を食べた。正直あまり美味しいとは思わなかったけれど、熱が下がって来たらお腹が空いたので少し無理をして食べた。

今日予定していたSRはお休み。

 

 

7月12日

今日は大分体調が良いので、ほぼ2週間ぶりにSRルームに入る。期間は10年前の前後2年間にした。

装着してしばらくすると、白い球状の壁がいつの間にか無くなり、何もない広大な空間に自分一人が座っていることに気がつく。

目の前に、緑がかった煙が立ちこめてSR再生が始まる。

 

パン屋の日常は変化がない。この20年で小麦粉の値段は上がり、増産のための遺伝子操作小麦が当たり前になったけれど、人々が食べるパンはあくまでパンにすぎず、ぼくの世界は全く変わらない。

このころの息子は高校に入る前後で、ぼくが自宅で撮影しているのに気がつくと撮影されることを極端に嫌がった。プライベートな家の中まで撮影されたくないというのはもっともな話だ。なので、ぼくが撮影した映像には、この時期の彼が映っているものは少ない。

 

この頃の彼は野球三昧の生活をしており、彼が大会で活躍する様子は沢山残っている。今回は息子がタグ付けされている映像を中心に構成してもらったので、中学、高校の彼の野球生活を追いかける事になった。

 

考えてみれば、彼が試合をしている様子をライブで見た事は殆ど無かった。パン屋の仕事は殆ど休みがない。ぼくは土日も店を開けていたので、彼の試合を野球場で見る事は殆ど無かった。だから、今回彼のいわゆる野球人生をまとめてみる事ができて、実に感慨深いものがあった。その中にはドラマがいくつかあった。劇的な勝利に繋がる活躍も、涙にくれる残念なものもあった。

 

そのころ彼が伝えてくれた、今日は勝った、今日は負けた程度のことしかぼくは知らなかった。当然その一言の中には、沢山のドラマが詰まっていた事に思いが至らなかった。

 

息子の事をあまりにも知らない。こんなことで良いのか。もっと知りたい。でも時間がない。なぜ今まで彼ともっと話をしなかったのか。時間が足りない。病気が発症してから、初めてもっと生きたいと思った。しかし、それは叶わない。

 

 

病室に戻ると、今日は論文を書き上げないといけないので、見舞いには行けないという息子からの伝言があった。今晩は、明日の朝に彼に伝えたい事を整理しよう。そう思いながらも、疲れが貯まっていたのか、結局夕食も食べずに眠ってしまった。

 

7月13日

朝、息子が立ち寄ってくれた時に、昨日お前の高校時代の活躍をSRで見たよ。あの試合は凄かったなと伝えると、彼はニッコリと笑って、ありがとうと言った。

それからそれまで話した事のないような昔話や、彼がやっている研究の話をした。いつもは15分で出て行く彼が珍しく1時間も病室にいてくれた。ラボには遅刻だけど、昨日論文を書き上げたから時間があるんだ。今日は楽しかったよと笑いながら出て行った。

 

 

ぼくは、これまで真面目に誰にも迷惑をかけずに生きて来たことが自慢だった。パン屋という金儲けには縁のない仕事をしながら、社会の片隅で淡々と生きてきた。ぼくなりに社会を支えていると思っていた。その誇りはいまも変わっていない。

 

ぼくは家内を交通事故で2年前に亡くし、店を閉じ、息子の住む仙台で一人暮らしを始めた。地縁もない仙台で老後を過ごす事は不安も多かったが、家内と長年暮らしてきた家で一人過ごすよりはましだった。家内の死からぼくは逃げ出したのだ。

 

7月14日

体調が昨日と変わっていない事を確かめると、主治医にもう一度SRの時間を取ってもらえるように頼んだ。二日連続のSRに主治医はあまり良い顔はしなかったけれど、午後の早い時間に予約を入れてくれた。

 

緑の煙が漂い、SRが始まった。

 

我が家のリビングのソファに家内が座っている。

 

これを撮影した時期は家内が事故にあう1ヶ月前。虫の知らせだろうか、家内は何かあったときのために、お互いの遺言をSRで記録しようと言い始めた。

その時は、随分不吉な事を言うなと思ったけれど、ぼくたちも年だし、そろそろ店をたたんで隠居することも考えていたから、タイミング的には悪くないかと思って、SRLに公的記録としての申請を行い、記録者立ち会いの元、開封者限定の撮影を行った。

 

ぼくはその映像をこれまで開いていなかった。遺産配分等に関する遺言書を同時に作っていたのと、公的にはSR映像より遺言状に優位性があるから、遺言状だけを用いて遺産処理は終わらせた。映像を開く必要はなかった。彼女の死が本当になりそうで、開くことができなかった。

 

 

ソファに座った2年前の彼女は、少し緊張気味に背筋を伸ばし、いつもより真面目な表情で、ニッコリ笑ってぼくに向かって話しかけて来た。

 

ぼくたちが出会ったときの思い出、子供が産まれたときの喜び、ぼくたちのパン屋を開いたときの嬉しさ、毎日休みも無く朝から晩まで大変だったけど充実した生活、そういうありきたりの思い出をゆっくり1時間近くかけて話してくれた。ありがとうという言葉が途中で何度も出た。でもその途中で、ぼくは彼女にありがとうと伝える事はできなかった。口の中でモゴモゴしただけだった。

 

最後に彼女が立ち上がって、ぼくに向かって大きく頭を下げ、「あなた本当にありがとう」と言った瞬間、ようやくぼくは「ありがとう」と声に出す事が出来た。涙はとめどなく出た。

 

青い煙が漂う。主治医は気を利かせたのか入って来ない。

 

 

夜中に再び立ち寄った息子に、かあさんの遺言SRを見たよと伝えた。彼は事故の直後に自分宛のものを見ていたので、どうだったと聞いて来た。

 

「うん、かあさんだったよ。まちがいなくあそこにはかあさんがいたよ。」

 

「だよね。あそこにはかあさんがいるよね。」と息子が言う。彼は今でも時々会いに行くそうだ。

 

家内の突然の死が受け入れられなかったぼくは、もしかしたら自分の死のことも受け入れてなかったのかもしれないなと思った。家内が死んでからぼくの時間は止まっていた。だから自分の死もなにも判断できなかった。

 

SRで過去を振り返ることで湧きあがった、もっと生きたいという気持ちと告知の事実。両者が揃って初めて自分の死に相対する事が出来た。まず、ぼくは自分の死の理不尽さに怒りを覚え、葛藤し、そして結局一晩経ったところでそれを受け入れた。

 

7月15日

その翌朝、SRLに息子宛の遺言SRの記録を申請した。

 

本当はそんなことはしなくてもいいのは分かっている。1時間程度の記録では、伝えられる分量だってたかがしれている。だけど、ぼくがいなくなった後に聞いてもらいたい事はやはりある。それは、言葉だけでは伝わらない何か。家内がぼくに伝えてくれた事と同じ種類の何か。以前に家内と一緒に作った遺言SRでは伝える事が出来なかった何か。

 

もしかしたら、ぼくの存在そのものを息子に残したいのかもしれない。いつでもそこに戻って来る事ができる、彼にとってのひとつの基準点のようなもの。家内が、息子とぼくに残してくれたものもきっとそういうものだろうなと思う。

 

ぼくには、もう十分な体力が残っていない。病室で遺言SRを撮影することは出来るけど、多分もう一度SRを使って家内に会う事は出来ないだろう。

しかし、それはそれで良い。必要なだけの思い出はもう十分にある。

 

 

 

8月14日

父は、遺言SRの撮影1週間後、昨日、突然の食道静脈瘤からの出血、肝性脳症を経て意識障害を起こし、今日の明け方に眠るように死んでいった。看取ったのはぼく一人。延命措置は行わない約束だったので、静かな死だった。

 

父とは最後の1ヶ月に色々な話をした。

 

これからもSRの中の父や母に会う事は出来る。けれども過去の世界の両親がぼくの問いかけに答えてくれることは無い。ぼくが勝手に会いに行くだけのこと。それでも、ぼくが見逃していた両親についての何かを見つけられるかもしれない。父が母の笑顔に20年ぶりで気がついたように。

 

だからぼくは時々彼らに会いに行く。見逃していたちいさなものがたりを探しに。

 

ぼくたちを現実につなぎとめているのは、身近な人たちとのものがたりだ。それは王様でもパン屋でも子供でも同じこと。大人になるとついつい大きなものがたりに夢中になりがちだけれど、ぼくたちのほんとうの現実はそこにはない。

 

現実はちいさなものがたりの中にしかなくて、そこに向かい合うことで、ぼくたちは初めて人生の意味を見いだすことができる。世界に散らばる無数の現実は、ひとりひとりのこころのなかにあって交わることはないのだ。

 

4月 26

ごぼごぼごぼ

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ぼくは、この瞬間が本当に嫌いだ。まるで自分が用を済ました後に流した水洗トイレが詰まっていて、下水からじわじわと汚水が上がってくる時のような、ぞわぞわする、「キャー、ヤメてぇ!」の感覚。

こころなしか、鼻の奥からは汚水のような臭いがするし、全身は何かベタベタしたヘドロのようなものにべったり包まれている。

 

しかも、上がってくるのが下水じゃなくて自分自身なんだから始末が悪い。とにかく、この瞬間は最悪なんだ。

 

その最悪の瞬間をなんとかやりすごし、鼻の奥がツーンとして、かき氷を急いで食べた時のような頭痛が始まれば、もう目を開けてもいい。

 

そこは、下水管の中でもないし、ヘドロの中でもない。やわらかくて適度に温かいライトブルーのジェルを満たした透明なカプセルの中で、触覚刺激用の専用スーツを着て、ぼくは浮かんでいる。

スーツはこのあいだ自分専用に誂えたばかり。Eクラスが普通に一台買えるくらいの値段がしたけれど、我ながらカッコイイ、はずだ。

 

本当は、ここから出たくなんかないのだけど、今日は疲れているのでここで終わりにする。目の前に表示されている課金額が毎秒少しずつ増えている。今回は8時間のコースだったので、今のところ20万円を少し超えたくらい。

 

後ろ髪を引かれながら、起き上がり、開いたカプセルから外に出る。アルミのステップを一段ずつ降りる。アルミのひんやりした質感が気持ちいい。

 

ぼくは、個人の投資家で、数年前に投資した会社が、あれよあれよという間に大成長して、株式公開にこぎつけた。持ち株の殆どを公開後の高値で売り抜け、結果しばらくはお金には困らない生活が送れる身分になったいわゆるプチ成金だ。

 

その後、しばらくは世界を放浪したけれど、今は何もする気が起きず、ただぼんやりと横になっているだけの、とても高価な遊びで日々を過ごしている。

 

カプセル隣りの回復室でシャワーを浴びた後、手絞りの人参ジュースを啜っていると、廊下に、腹が飛び出た、馴染みのある小柄な人影が見えた。最近、色々なメディアでよく見る某IT企業の社長は、今日も元気そうだ。

 

本当は、もっと安い施設もあるけれど、見栄っ張りのぼくは、ついつい六本木ヒルズ裏手のこの施設を使ってしまう。プチ成金のぼくには、こんなチャラチャラした場所がお似合いだ。

中国大使館向かいの、外見からは何の施設なのか分からない黒い低層の建物は、地上4階、地下6階まであって、カプセルは全部で50台近くあるらしい。ぼくの会員クラスでは地下4階までしか入れないから、深い場所で何が行われているかは噂でしか知らない。多分、さっきの社長は一番深い所に行くんだろう。実にうらやましい。

 

ぼくがカプセルの中で楽しんでいたのは、ブレインマシンインターフェイス(BMI)という技術を応用したOSLOという遊びで、この施設は、OSLO専用の施設だ。こんな体験が出来るのは、SFの中だけだと思っていたのだけど、ちょっとしたブレイクスルーが起きて、ここ5年の間に突然実用化が進んで来た。当然、軍事技術の民間流用。

BMIは、脳のなかに、ごく小さな送受信機を入れる事で、ぼくたちの考えている事を外に伝えたり、外部から脳へ直接情報を与えたりすることが出来る技術のこと。

昔は結構大掛かりな手術が必要だったんだけど、今では外来で処置出来るようになってきた。処置時間は大体30分くらい。もはや虫歯の治療と変わらないし、虫歯と違って痛くない。

 

ただ、同じ自動車にも軽自動車からF1まで、性能に色々なバリエーションがあるように、BMIデバイスの性能も様々だ。医療目的以外のBMIは保険も効かないのでとても高価だし、当然ながら、ぼくら庶民は、最先端の軍用システムを買う事も出来ないから、民生用の普及版しか使えない。

軍用システムは、スーツもゴーグルも使わずに、あらゆる感覚を、脳を直接刺激して操作できるらしい。普及版ではそこまでの事は出来ないので、ぼくたちは、触覚刺激用のスーツを着て、視覚刺激用のゴーグルをかけて楽しんでいる。

OSLOに関しては、軍用と民生用であんまり変わらないという話だけれど、そんなわけないとぼくは思っている。

もちろんお金さえ出せば、軍用システムも手に入れられるけど、維持の手間も費用もべらぼうなので、ぼくはそこまでやる気はしない。多分、地下5階より下にいる、さっき見た社長みたいなヒトたちは、その境界を飛び越えちゃってるんだろう。少し羨ましい。

 

ぼくがBMIデバイスを使って楽しんでいるOSLOシステムの名称は、オスロで開発されたからという話もあれば、何かの略語という話もあるけど、ぼくにはどちらでも良い。

OSLOは、簡単に言うと、自分の感覚を解放して、同時にシステムにつながっているヒト同士の感覚をオンラインでつなぎ、感覚を共有する遊びで、そんなものが楽しいのかと言われれば、実に楽しいと言わざるを得ない。

なんと言っても、OSLOにつながった瞬間に、自分の身体から自分自身が解き放たれる感覚は、とてもことばにはできない。一番近いのは、温泉に入った瞬間の身体がふーっと解放される感覚だけど、OSLOではその感覚が何重にも積み重なって襲ってくる。ただ、実際はそんなもんじゃなくて、こればっかりは、やってみないと分からない。

身体が解放された後、自分がどこにいるのかが全くわからないままに全身が希薄化して拡散して行く。希薄化しながらもどこかの誰かと感覚が共有されて、自分が自分なのか他人なのかが分からなくなる。ぼくの右手の小指が100人とつながっていることもあれば、同時に親指は別の20人と感覚を共有していたりする。つながっている感覚は重さで感じられる。

沢山のヒトと感覚を共有している時、何も考えずに動かそうとするとすごく重いけど、全員の息が揃うと一緒に動かせる。それが100人でやる縄跳びをやり遂げたような新しい喜びになる。しかもそれが全身のいたるところで並行して起きている。

ぼくはOSLOを体験するまでは、たくさんのだれかと直接つながる事がこんなに楽しいことだなんて知らなかった。これは性的な快楽とかとは全く違う。本当にピュアなつながる喜び。ぼくも現実世界で色々な経験があるけど、こんな経験は現実では味わったことがない。

 

 

今は木曜日の夜。午前中にジムで身体を動かして、広尾で蕎麦を食べてからOSLOに入ったのが午後1時過ぎ。だから、もう夜の10時近くになっている。毎度の事ながら、8時間も入りっぱなしだったのに、あまり腹が減ってない。

いつもはOSLOの後は、ぐったり疲れちゃうのですぐに帰るのだけど、今日はなんとなく目黒の自宅に戻る前に一杯飲みたい気分だったので、西麻布のバーへ向かって坂道を降りて行った。

 

暗い坂道をひとり歩いていると、頬をなでる不思議な感覚を感じた。

OSLOの直後によくある疑似感覚だろうと思って気にも止めずに歩き続けると、なにかおかしい。

 

誰かが後ろから両手で目隠しをしている。

 

なんだ、これは!ヤバイよ。

 

ぼくは今、狭い坂の途中で立ち止まり、目を大きく見開いて、正面をはっきり見ている。坂の下の通りを行き交う車がハッキリ見える。

 

同時に、後ろから目を覆われていて、眼球を圧迫する指の一本一本の力の入れ具合までハッキリ分かる。これはどういうことだ?

 

まちがいない。透明な手がぼくを目隠ししている。

 

そのうち、背中に柔らかいものが押し付けられて、ぼくはハッとした。

 

まさか、こいつ女?

 

なんとなく嬉しいような、困ったような、えっ、何、これどうしたら良いの?

 

しかし、うしろを振り返っても誰もいない。

 

こわくなったぼくは、その異様な感触とともに坂を駆け下りた。

 

結局、ぼくはその日はバーには行かず、外苑西通りに出た所でタクシーを拾って自宅に帰った。もちろん、その間も後ろから目隠しされている感覚は残っていた。

 

自宅に帰って、バスルームで上半身裸になって鏡で自分を見ても何も変わった様子はない。気がつけば、さっきまで触られていた感覚も収まって、右の肩甲骨あたりになんとなく違和感はあるものの、いつもの自分に戻ったような気がする。

 

もしかして、これが噂に聞くOSLOの副作用、多重性感覚障害なのかと思ったけれど、変な感じは収まったということで、とりあえず問題は先送りにして寝ることにした。

 

翌朝、特になんの違和感もないし、病院で診察する必要もないなと思って五反田のカフェで遅いランチを食べて、午後は本を読んで過ごした。昨日の事があるので、OSLOの予約はキャンセルした。

 

今日は金曜日で、OSLOのエンジニアをやっている彼女と会う予定だ。彼女とは付き合い始めて3ヶ月。当然一番楽しい盛り。会うのは1週間ぶりなので、色々な妄想が湧いて、ひとりニヤニヤしながら午後を過ごした。

 

彼女とは恵比寿の熟成肉を出すグリルで落ち合って、2件ほどバーをハシゴしてからぼくのアパートになだれ込んだ。

 

ぼくが鍵をあけて、部屋の中に入ると、いきなり彼女がぼくの背中に抱きついてきた。おいおい、ちょっと待てよ、積極的すぎるだろ、まいったなーと思って後ろを振り返るが、そこには誰もいない。

 

彼女は、2メートルほど離れた後ろで、まだ玄関でブーツを脱ぐのにてこずっていた。

 

その瞬間にぼくは目の前が真っ白になって、意識が途絶えた。

 

あとから彼女に聞いたところ、ぼくは、突然「ぎゃー!」と叫んで玄関から続く廊下の中程で倒れたらしい。

 

目が覚めたぼくは、彼女に昨日起こった感覚障害について話をした。すると、OSLOの副作用の多重性感覚障害の恐れがあるから、検査が必要だという。

 

彼女も今日はすっかりそんな気が失せたので、なんなら今から会社に戻って調べてもいいわと言ってくれた。ぼくもとても眠れそうにないので、一緒にタクシーで六本木まで行って、彼女のラボで調べてもらうことにした。

 

ぼくのBMIデバイスは、1週間程度の入出力情報なら体内のロガーに記録が残せるようになっている。なので、ラボの診断用マシンを通じてロガーにアクセスして、データを解析してもらった。

 

白衣姿の彼女はしばらく診断マシンを操作して、画面の情報を真剣に見ていた。その後、ベッドに横になっている僕を上から覗き込んで、あなたの状態は多重性感覚障害としては非定型的だわと彼女は言った。僕を見下ろす白衣からのぞく胸の谷間が素敵だ。

 

非定型的?なにそれ?どういうこと?と聞くと、一般に多重性感覚障害はデバイスがつくる仮想的な感覚なんだけど、ぼくの場合は、実際に外部からの刺激を受けていたらしい。つまり、誰かが実際に触っていたのと同じ状態だって。

 

ふん、ふん、なるほどね。って、ちがーう!ウソだ、そんなこと。誰もいないのにそんなことはあり得ないよと、喉元まででかかった瞬間、また透明な目隠しと、背中には柔らかい感触が。

ピギャー!と叫んでまた倒れそうになるのをギリギリ我慢して、彼女に背中を見てもらった。でも、ぼくはベッドに横になっているんだから、背中にはだれもいるはずがない。

 

で、彼女がキーボードをカチャカチャと操作して、ぼくの皮膚感覚をリアルタイムで脳から抽出して可視化した。画面には、ぼくの全身が赤と青のヒートマップで表示されている。なんだ、これ?全身いたるところに現れては消える手形。ゆっくり動きまわる2本の手。っていうか、その映像を見ながら見えない誰かに触られているの、ほんとうに辛いです。だれか助けて。

 

と思っていたら、彼女が何を思ったか、ぼくに向かって「あなた誰?」とつぶやいた。

 

誰って、オレだよってぼくが言いかけたら、突然全身を触る感覚が消えた。もちろん画面を這い回っていた手形も同時になくなった。

 

何それ?これオカルト?まさか霊なの?

 

結局、ロガーの中のデータをみても、システム上の問題も見つからず、仕方がないので、ぼくの脳内デバイスのファームウェアをアップデートして、再起動してその日は終わった。ぼくも彼女もすっかり疲れ果てたので、結局それぞれの家に帰って、その週末は別々に過ごした。その間に一度だけ軽い発作が1分程起きたけど、ほかには何も変わったことは起きなかった。

 

週が明けて、いつものように予約しているOSLOに行くと、彼女と彼女の上司だというおっさんが受付で待ち構えていた。

怪しげなメガネをかけたおっさん。白衣が汚い。彼女が言うには認知神経工学では相当に有名な科学者らしいが、外見の怪しさが先に立ってまったく信用ならない。ぼくを見る目が、妙にニヤニヤして嬉しそうなのも怪しい。

 

とはいえ、週末にも一回軽い発作が起きた事を伝えると、診察してくれるというので、地下のラボに向かう。

禁断の地下6階。なんだ、ここはこのおっさんの研究施設だったのか。どんな豪華な施設が隠されているのかと期待していたのに、ちょっとがっかり。妙な臭いがするし。

 

金曜日とは違う研究用の診断・解析プログラムを走らせるということで、軽い鎮静剤を与えられて、ぼくはカプセルの中に横たわり、あっという間に意識を失った。

 

どれくらいのあいだ寝ていたのか分からないけど、大嫌いなごぼごぼする感覚にひどい二日酔いが一緒になった、かつてない最悪な気分で目が覚めると、カプセルの周りには誰もいない。

背伸びをして外に出ると、となりの部屋で彼女と上司のおっさんがホワイトボードに変な絵を描きながら議論している。

シャワーを浴びて、服を着てから、となりの部屋に行くと、おっさんがなんだかえらく興奮している。

彼女の目をみて、どうしたのと目配せすると同時におっさんがぼくに気がついた。

 

何かわかりましたか?と聞くと、おっさんはホワイトボードの変な図をペンでバンバン叩きながら、聞いたことのない単語を並べたてて、何かの説明を始めた。とにかく長い。しかも表現が回りくどくてさっぱりわからない。

 

あのヒトの話は誰が聞いても分からないのよと、あとから彼女が教えてくれた。いわゆる天才らしい。

 

で、おっさんが一息にしゃべってゼエゼエしているところで、ぼくは彼女に解説を頼んだ。

 

で、結局どういうことなの?

 

彼女が言うには、今日はぼくの脳内に埋め込まれているデバイスを使って、あらゆる組み合わせで手当たり次第にぼくの脳を刺激したらしい。

くそー、だから気分が悪いんだなと思いつつ、それで?と聞くと、本来は存在しない脳のある部分と部分をつなぐ回路が見つかったらしい。で、その回路に注目して、発作が起きたときのデータを確かめたら、確かにそこがバチバチ活動してたんだって。

 

それって、どういうことなの、悪いことなの、まさか死ぬの?と聞くと、バカねと笑われた。

 

多分何も起きないわ。ところであなた夢を見る?と彼女が突然聞く。

 

そりゃ普通に見るけど、どうしてと聞くと、どうもあなたの脳に出来た新しい回路は、明晰夢を見るしくみと似ているみたいだと言う。

 

はぁ?なに、明晰夢?

 

明晰夢っていうのは、自分で夢を見ていると分かった状態で夢を見ることで、夢を自由に操作することができることなのね。明晰夢は普通の人でも訓練すると見ることができるようになるんだけど、あなたの場合、完全に覚醒しているのに、夢が現実の中に現実として混ざっちゃうみたいなのよ。

 

それって妄想と違うの、やばくない?

 

うーん、この間見たみたいに、誰かに触られているときのあなたは、脳からみたら間違いなく外部から本当に触られているのと全く同じ刺激を受けているのよ。妄想の場合はそれと違って、基本的に大脳皮質で完結している。でも、あなたの場合はもっと感覚入力に近い下位のレベルでの感覚が操作されているの。

 

操作ってなんだ?実際にはだれも触ってなかったじゃないか?

 

そうなの、だからうちの上司が興奮してるのよ。あなたの脳は、いうなれば夢を実体化しちゃう回路が出来上がっているみたいなのよ。実体化と言っても、あなたの身体の中で完結している主観的な経験だから、実体験化っていうほうが正確なんだけどね。

 

なに、その実体験化って。もしかして、なんでも思ったことが実現出来る神様みたいな感じなの?マジで?それスゴイじゃない。

 

あなた、女性に後ろから突然抱きつかれたいって願望あるでしょ!

 

え、なになに、何をいきなり。え、そ、そんなことはないよー。

 

やっぱりそうなのね。

 

どういう訳かあなたの著しく強い願望が脳内で実体化したというのが今回の原因みたい。さっき、調べたら、あなたのOSLO接続時間、世界でもトップクラスよ。いくらなんでもやりすぎよ。

多分OSLOを長時間続けることで、ニセの感覚入力をでっち上げる回路が出来上がって、それが何かのきっかけでトリガーされて、潜在的な願望が実体験として感じられるようになったみたいね。

 

あなたの使っている普及版のBMIデバイスでは、本来そういうことは起きないの。でも、軍用のハイエンドデバイスの場合は、脊髄を含んだほぼ全ての神経系を詳細に制御するから、今回みたいな事が時々起きるの。

あなたは、軍用デバイスがやっちゃうような脊髄レベルを操作する高度な神経操作機能を、安物の普及版を使って実現しちゃったわけだから、わたしの上司は大興奮しているのよ。

だって、そんなヒトは今までいなかったんだから。生物学的には、いわゆる一つの進化形と言ってもいいのかもしれないわよ。

 

え、進化?カッコいいじゃない。でもさ、ということは、進化しちゃったぼくはどうすればいいわけ?

 

特に何もしなくてもいいわよ。だって、あなたはOSLOみたいなデバイスにお金を払わなくても自分の身体的な願望を好きな時に実体験化できちゃうのよ。

 

お、それもそうだ。うん。じゃ、いいか。

 

バーカ!

 

おおよそのあらましが分かったので、彼女の上司の怪しいメガネのおっさんにもう一度話を聞く。今度はおっさんも落ち着いて話してくれて、なんとなくさっきよりは分かった気がした。たぶん。

 

で、おっさんに、今後どうしたらいいのかを聞いてみたら、軍用デバイスでの多重性感覚障害の対応マニュアルはあるのだけど、ぼくのような普及版BMIデバイスでの非定型的多重感覚障害は症状が様々なので、一律の対応は決まってないそうだ。

ただ、今回のような同じ感覚異常のパターンが繰り返しおきるタイプの障害の場合は、感覚パターンフィルターを使えばすぐに対処ができるということなので、ぼくのデバイス用にフィルターをカスタマイズしてもらうことにした。

 

研究室でフィルターを作る作業をしながら、おっさんがなんだかモジモジしている。明らかに挙動不審で不気味だ。

 

なんですか?と聞くと、この件を一例報告で論文にしても良いだろうかと聞いてきたので、丁寧にお断りした。こんなことで有名になんかなりたくない。

 

おっさん、とても残念そう。たぶん、貴重な実験動物を取り逃がしたような気分なんだろう。彼女と付き合っていてよかった。さもなければ、あやうくこのおっさんに騙されて、いいようにされるところだった。

 

カスタマイズしたフィルターをデバイスに転送したところで、おっさんがフィルターのテストをしたいというので、もう一度OSLOに入ることに。

カプセルに入り、OSLO接続の準備を終えて脇を見ると、彼女がニッコリ笑って手を振っているのがカプセル越しに見えた。実に可愛い。

 

OSLOが起動して、ぶわぁわわぁああーっと身体が溶け出していく。数秒もたたないうちに、視覚も、触覚も全てがだれかと共有されている。まるでソラリスの海の一部になったよう。身体は拡張され、言葉はその意味が完全に失われ、意識すらも希薄になる。一方で自分という主体の輪郭はあらわになり、ますます自己の存在が研ぎすまされてくる。そして身体を動かすたびに、驚くべき多幸感が身体中に流れ込む。こんなしあわせを味わえるなんて、この時代に生きていて本当に良かった。

 

 

 

 

 

OSLOが起動して、彼が無事あちらのヒトになったのを確認した博士は、チーズたっぷりのぶ厚いピザを食べながら彼女を睨んだ。

 

でさぁ、この落とし前どうつけるの?ペパロニが一枚床に落ちて、ペタリと音をたてた。

 

すいません。わたし、ちょっと変わった遊びでもしようかと思って、このあいだ彼が寝ているときに、彼のデバイス防壁にバックドア付けてパラメーター色々いじったんですよね。そしたら、そこからハイブリッド型の変なウィルスに感染しちゃってこんなことに。ウィルス駆除しても、ファームウェアを元に戻してもハイブリッド型だから治らないし、わたし困っちゃった。

 

困っちゃった、テヘッ!ですむ問題じゃないんだってば。だって本当は、さっきぼくが入れたフィルターなんて、カプセルから出たらほとんど役に立たないんだよ。だから、たぶんここを離れたら彼は気がふれちゃうよ。さっきみたいな発作がどんどん酷くなるんだから。一体どうするつもりなのさ。

 

うーん、それじゃあ、このままカプセルに入れっぱなしにしておくっていうのはどうでしょう?ここなら発作が起きてもさっきのフィルターで制御できるからみんな安心だし、彼もOSLOで幸せ、会社は儲かる、わたしも助かる、博士も彼を実験に使えるしで、ウィンウィンウィンウィンじゃないですか!もしかしたら、彼、さらに進化してスゴイ事になるかもですよっ!

 

はあ、またか。これでこの施設始まってから5人目だよ。軍に出す報告書は面倒くさいんだよ。君も決められたプロトコルから外れた時の事務処理が本当に大変なの知ってるでしょ?

 

そんなこと言っても、これまでの5人のうち4人は博士の責任じゃないですかっ!4人目のときも、わたし、文句も言わずに報告書作るのをお手伝いしましたよね?今までと同じで、予測不可能な事故でしたっていう報告で何が悪いんですか。

 

博士の身勝手で理不尽な文句に、わたしもついつい声が大きくなる。

 

むぐぐぐ、まあそういう事だな。わかった、わかった、今回はぼくがやっとくよ。

 

博士が案外簡単に折れてくれたので、わたしはぺこりと頭を下げながら実験室を出た。なんだ、怒ればいいのか。今度から、何かあったら怒るようにしよう。

 

目の前でピザを食べるのを見せられていたせいか、わたしもお腹が減ってきた。今日のランチは何にしよう?なんとなくお蕎麦かフォーの麺な気分だわ。わたしはどちらにするか真剣に悩みながらオフィスを出た。

 

12月 27

フワフワ

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先週のニコニコ学会の第一セッションが色々物議を醸しているようで、なんとなく思ったことをまとめてみる。
1)渋谷君と池上さんの話は、ある程度彼らの共同作品とかのバックグラウンドを知っていないと分からない分かりにくい話で、さらに池上さんが渋谷君から引き出したかった議論の引き出しに失敗したので、評判が悪いのは仕方がないかな。あれは失敗。

2)ホリエモンとの「フワフワ」談義が噛み合わなかったのは、「フワフワ」したものが大学にしかあり得ないと主張するように見える池上さんと、「フワフワ」したものはどこにでもありうるし、別に税金使ってそういう場所を確保する必要はないんじゃないかっていうホリエモンの主張がすれ違ったこと。
多分池上さんは「フワフワ」したものは、大学以外にもあることは分かった上で、それでも大学という場所の特典の一つとして、価値があるんだと言いたかったのだと思う。
大学には、大学所属という帰属感があるから安心して「フワフワ」できるという特典がある。在野だとその安心感があまりないので「フワフワ」した弱い科学は根が張りにくいんじゃないかという懸念なんだと思う。弱い科学vs強い科学というのは昔から池上さんが議論のテーマにしているので、そういう意味で、弱い科学を持続的に維持する場所としての大学は価値があるように思う。在野の研究者は一人で終わることが多くて、それが継続されることは難しいから。

3)無意識を鍛えるというのは、無意識的に意図しない情報に晒されて鍛えられるという意味だと思う。環境が与える情報量としては多いほうが良いわけで、ネットに沢山の情報があるから同じという理屈は合わなくて、ネットの情報は自分から取りに行かないと無いのと同じ。
つまり、意図せず情報がプッシュされてくる環境としての大学は価値があるんじゃないかっていうことだろう。

4)高卒と大卒は明らかに違うというのは、僕は高卒のヒトと一緒に働いたことがないので分からない。違うかもしれないし違わないかもしれないけど、個人間のスキルの幅の方が学歴の幅と比較して大きいだろうから、議論としては不適切かな。

失敗と誤解が混ざると、文脈依存度の高い議論はパブリックな場所では難しいなと思った。