鈴木先生
8月 30

さっきぼんやり考えていたら、どうして論文をあまり読みたいと思わないかが分かった気がしました。簡単に言うと、引用の恣意性が嫌ってことかな。イントロダクションとディスカッションでの議論って、好きなように組み立てられるじゃない?所詮僕らの仕事は現象を記述するだけなので、記述するには言葉を使います。でも、言葉には常に多義性があるし、大抵ディスカッションでの結論は大きな抽象的な話にまとめてしまいます。違う実験だって「ワーキングメモリ」とか「ミラーニューロン」とか同じ言葉で説明していたら、同じ実験扱いするしな。なので、同じ論文をポジティブにも引用出来るし、その逆にも使える事が多い。とすると、引用にあまり意味がないような気がしてならないし、そんな引用に支えられたイントロの一見素晴らしいロジックもなんだかなっていつも思う。
しかも、サルの実験なんて、課題トレーニングで課題実行ロボット作ってるようなもんだから、そこから大きなテーマに繫がらないし、社会的意味すら説明出来ない実験も多い。などと自分の首を絞めるようなことばかり言ってますが、そういう気分ではある。だから僕は多分工学的なアプローチに惹かれるんだろう。美しい統一的な理論はいらないから、美しく繫げる仕組みを作りたいんだということに今気がついたよ。それなら生きているうちに少しは貢献出来そうな気がする。そういう意味では、構成論的脳科学なのか?もっとなんか気のきいた名前ないかな。

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