ふらふらしていて見つけたこちらのエントリーで膝を打った。今までもやもやしていたところが、ちょっと霧が晴れた感じ。知識のソースが、現実か仮想かという違いの判断はとっさには難しいし、むしろ区別しない方が脳にとっては自然な気がする。僕らは発達の中で、夢と現実というタグを貼りわけることは経験的に身に付いているけど、仮想と現実の間のタグ分けは殆どやってない。むしろ、現在の仮想空間での経験は、現実環境の経験の一部としてやっているのが実際なので、意識しないとその切り分けが難しい。とはいえ、意識的に行えば十分可能ではある。
しかし、これから没入感の高い仮想環境が社会に実装され始めた時、そこの所をきちんと区別出来るようにするのは相当困難になってくる気がする。前から思っているけど、本当にリアリティの高い仮想空間をツールとして使うには、正しい社会性を現実社会でまず身につけてからという仕組みが必要となるだろう。つまり、仮想空間は、現実世界での社会的スキルを身につけたヒトだけが使えるセキュアなコミュニケーション空間として構築しなければならないのではないか。そこに至らない子供や一部の大人達は、今のオンラインゲームのようなガチガチのルールが課される自由度の低い空間にしか与えないということを考えるべきかもしれない。言い換えるなら、仮想空間はコミュニケーションツールとして使う事は問題無いが、ライフのプラットフォームとして使うことは私たちの認知機能を大きく変容させる危険を含んでいるから、ひとつバリアを作った方がいいだろうということだ。
社会学者も倫理学者もテクノロジに追いついてないので、 そんな時代が来てもあまり役に立たない。大体ケータイだって新しい仮想空間デバイスであるのにも関わらず、そのような視点での実りのある議論はあまり聞かない。むしろ、新しい技術に対応した新しい倫理観は、それをサーブする私企業とそのユーザーが、ボトムアップ的に手探りで構築していくものなのかもしれない。
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