ろくよんろくよんいちにっぱ 無事
3月 01

先週あったうちのマンションの総会で非常に残念な事があって、愕然とした。管理会社を変更するという議案を採決するために開かれた総会なのだが、結局議案は否決され、うちのマンションは管理会社が無い、無管理の状態になる寸前であった。結局昨年度までの管理会社にさらに追加の3ヶ月の管理延長をお願いする形で無管理状態は避けられたものの、一旦Noを出した管理会社に頭を下げるというシナリオが、僕には全く理解出来ない。

採決の行方を決定したのはある一人のヒトで、どうしたものか 一人で委任状の半分近くを集めていた。別にそれは人望があるからという理由でおかしな事ではない(極めて不自然だとしても)のだけれど、採決の行方を握っているという自覚が殆ど無いままであったのに愕然としたのだった。

僕たちは、年齢が進むにつれ、様々な力を得る事ができる。それは、せいぜい数人の人生を左右するような比較的小さな力だったり、 世界の行方を左右するような力だったりする。しかし、結局は他人の人生に影響を与えるという点で、力を持ったヒトの意思決定は社会性を帯びざるを得ない。オバマのイラク撤退の期間が3ヶ月延びたり、経済対策法案を改案したことなどは、社会的配慮の結果と言って良いだろう。そういう意味で、力を使う事に不慣れなヒトに力が渡ったときの、社会的知性の欠如程怖いものはない。

今回のケースでは、 「新しい管理会社の態度が不誠実で、信用出来ない」という理由で、そのヒトは否決した。しかし、その態度に、自分が決定を下している事で、全体の採決の行方を決定しているという意識が微塵も感じられなかった。そのヒトに同調する何人かのヒトたちも同じように感情的に否決に走っていたが、そのヒトたちは自分の1票しか持っていないので、僕はそれで良いと思う。しかし、過半数近くの票をもっているヒトが、一個人のレベルでしか判断しないという点が、非常な驚きだったし、なんとも形容のできない不愉快さを感じた。

このような社会的公共性は、間違いなく社会の中で揉まれる事で獲得する能力である。しかし、実際に自分の生命のリスクを賭けて様々な決定を行うのではなく、誰かの庇護の元でしか決定を行わなかったヒトは、そのような能力が決定的に欠如するし、欠如していることに全く気がつかない。さらに、妙な正義感が付け加わると、全く手に負えない。簡単に言えば、虎の威を借りて生きてきたヒトたちです。大抵は小さな虎というか虎にすら見えないハリボテなんですけどね。政治家の2世も似てるかも。

まあ問題は、そのヒトの社会的意思決定能力の欠如というだけではなく、 そのヒトに委任状を言われるがまま出し、しかもそれが自分たちの首を絞めていると気がついていないヒトたちにも同じくらい問題がある。と考えると、今の日本の縮図のようなケースなのだけれど、結局住民とか国民が責任をきちんと果たす事でしか方向を正す事が出来ないのだと思ったのでした。方法があるだけまだましだけど、よほどの危機感が無ければそれは起きないんだよな。どうするんでしょうね、僕たちは。

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