たらづんが 光トポ
3月 18

よーやく「「意識」を語る」を読み終えました。一人一人のキャラが随分濃いので、流し読みも出来ず、ほぼ1週間かかった勘定。最近読んだ本で、一番勉強になりました。「意識」の話って、正論が無いので、どこから入ったら良いか分からなかったし、それぞれが勝手な事を言っているので、全貌を見渡すことが出来なかったんですよね。そいういう意味で、とても良い本だと思いました。ただ、一番面白かったのは、翻訳の山形さんの独り言のようなあとがきかな。実は共感出来たのはここだけだったりする。笑

というわけで、「意識」について考えるいいきっかけになったので、追々自分なりの考えをまとめていこうかと思ったりしました。今までは、独特の用語とかバックグランドの知識の無さにちょっと避けてた所があるんですが、実はどうやらみんな勝手な事いってるだけらしい ので、僕が勝手な事言っても良いのかもって勇気が出ました。

ちょっと前、このフチコマめ、に「脳計測をしないヒトは、脳機能を語ってはいけないのか?」とコメントされましたが、少なくとも信頼のおける方法で記録されたなんらかの科学的データを 対象にした議論でなければ、途中で必ず道を誤るのではないかと僕は思う。大事なのは、自分が信頼出来る方法かどうかという点で、fMRIとかEEGとかは、やれば誰でも何らかのデータが出る。それを鵜呑みにして解析すると間違えやすいんだよ。僕はそれで散々苦労して来たから、ヒトのデータとか結果には常に懐疑的になる。もちろん自分のデータとか結果もいつも怪しいと思ってるし、いつ間違いだって言われるか常にドキドキしてる。それは科学者として正しい態度だし、逆にヒトのデータを鵜呑みにしてへんてこなモデルとか立てちゃうヒトが怖い。そういう意味で、脳関連の計測データや結果がいかに危ういものかを理解しないと、認知脳研究の細い橋を渡り続けることが出来ないのです。

“意識” に 6 件のコメント

  1. フチコマ健司さんのコメント:

    コメントはikegさんじゃなくて、私です。フチコマめ、です。ゾウリムシさえ、いまだに分からんことが多いわけだから、いわんやをや。
    ちなみに、山形さんが訳してなければいいのに、と思う。自分の専門でもなんでもないのに、翻訳すると分かった気になるという、そして適当な自分の説をひけらかす、ひどい例だと思います。いつものことだけど。

  2. Naotakaさんのコメント:

    わかったようなことを言う翻訳者と、同じ事をいう哲学者は、哲学的ゾンビとヒトの違いみたいなもんなんですか?

  3. フチコマけんじさんのコメント:

    先生、よっぽど嫌いなんですね。哲学者が。脳はみんなのものですよ。

  4. Naotakaさんのコメント:

    違いますよ、誤解しないでください。嫌いなのは、自分の業界の長年の作法に則ってしたり顔で議論するヒトたちで、業種は問わないです。手法の選択や開発にこそ独創性があって、そこが一番大事で一番大変なのに。僕は、ハードな技術をないがしろにするヒトが嫌なんですよ。

    車じゃ無いといけない所があるのに、テクテクあるくのは無駄だってことだよ。今の哲学者の議論は、車も飛行機も使ってないふりして、実は使いながら簡単に遠くへ行って、しかも歩いて来たみたいに言いながら、乗り心地が悪かったって文句言うみたいなもんで、技術や他者の新しい発見に対するリスペクトが感じられない。ああいう、リスペクトのない引用文化で本当に何かが出るなら、科学なんかいらないじゃない?

    手法に疑問を持たないで、その上の薄いところだけを言葉で語るというアプローチは、無意識を放置して意識だけを語るみたいなもんです。

    そういう怒り方はいつもフチコマもしてるじゃん。フチコマから技術や手法を取り上げて、やってけるのかしらん?残念ながら、言葉っていう技術は、言葉の世界にしか影響を与えられなくて、物質を操作出来ないから、客観性があり再現性のあるハードな科学にならないよね。

  5. Naotakaさんのコメント:

    そういう意味では、フチコマがいつも言うように、今の認知神経科学はハードなサイエンスになってないんで、そこの壁を壊すのが、僕の仕事だと思っています。まずは脳に対する操作可能性を手に入れる事でしょうね。

  6. haruzukiさんのコメント:

    話についていけるように「意識を語る」を読んでみたいと思います。

コメント

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