6月 30

ポスドク雇用一人について持参金480万円って、どういうもんでしょう?たった100人だし、あんまり意味ないよね。ちなみに、ポスドク一人の一般的な給料って世間の初任給より多いんじゃないだろうか?たかが博士を取っただけで、なんでこんなに高いのかはよく分からない。不安定だから?でも不安定って今やどの仕事も同じだしね。ちなみに学術振興会のポスドクだと月36万くらいですか?それに福利厚生の18%乗せると丁度持参金くらいになりますね。

僕は1998年にMITに行った最初の契約が年俸$22000だったんで今の大卒初任給より遥かに低かったですね。正直泣きたくなるような生活でしたが、不思議と生きていくくらいは出来ました。っていうか、共働きだったから、つつましくもほどほど楽しく暮らしてました。でもね、医学部出て、大学院も出て、なんでそんな生活してるのかって思ったような思わなかったような。初期研修の時は月収15万くらい、大学院の時も出張の外来バイトで20万くらいだったかな。考えたら、医学部出てから理研に来るまでの約13年、今の一般的なポスドクの初任給を超えた事って殆ど無かったかも。なので、今時のポスドクのヒト達は、もうちょっと自分たちが恵まれているっていうことに自覚を持った方が良いよ。好きな事してお金がもらえるって有り難い事なのに。昔の自分と比較するって言うのは、随分おじさんっぽいけど、MITで初めて給料貰った時は、研究してお金が貰えるって、何て素敵な商売だろうって思ったな。まあ、直後に額の少なさに我に返りましたが…だって、ボストンだと手取り$1600位のうち家賃が$1000だもの。

いわゆるポスドク問題に関しては棚上げした話ですから、目くじら立てないようにお願いします。

“持参金” に 16 件のコメント

  1. フチコマけんじさんのコメント:

    うーん。どうなんでしょう。博士に進まなけりゃ,生涯年棒で2-3億円の差が出ちゃいますよ.もちろん博士とるほうが「損」なんだけど。
     今、お金があることよりも、将来のお金が保証されないことの方が、不安ですよね。ぼくはむかしPDしたときには、アホなんで何も考えなかったけど、OD問題は深刻ですよ。
    普通の会社ならば、働いた分への報酬だけど、PDには投資、ですよね。投資がもっと多い方が社会は元気な気もします。

  2. Naotakaさんのコメント:

    PDへの投資に対する社会的リターンが少なすぎるっていうのが、ポスドク問題の理解で良いんですよね。

    そう考えると、ある世代が酷い目に会うって言うのが年金問題に似てますね。

  3. 通りすがりさんのコメント:

    個人的には短期間でどーんともらえるより、そこそこの給料で10年かそれ以上の雇用を約束してくれると研究を続けたいなと思うんですが。

  4. Naotakaさんのコメント:

    そうですねぇ。若いヒトには、研究続ける社会的な意義も一緒に考えてほしいですね。

    自分が面白いと思ったものを面白いと伝える努力が出来ないヒトは、生き残れないでしょう。

  5. フチコマけんじさんのコメント:

    うううっ。本当にそうですか? 社会的な意義なんて考える研究者に、革新的な研究したやついます?

  6. フチコマけんじさんのコメント:

    アインシュタインが、社会的な意義考えつつ相対性理論つくったり、バレラが、社会的な意義を考えつつオートポイエシス理論つくったり、したと思いますか? 相対性理論もオートポイエシスも20代のときのアイディアですよ。つまり若い。

  7. Naotakaさんのコメント:

    なんですぐにそういうスーパースター連れてくるかな?

    使う金額によるんですよ、社会的意義が必要とされるのは。
    若い奴にいきなり数億のカネだす時に、それを問わない社会はないでしょ?
    カネには責任が付きまとうんですよ。実験系の研究者は、少なくとも年数百万から数千万のカネを使うんだから、その意義を考えなくていいなんて言っちゃいけないんじゃないですか?人件費は、生活の為だから別にそんなこと言わないよ。

  8. フチコマけんじさんのコメント:

    社会的意義、ということでこの間、学生と紛糾したから。

    社会的な意義って、どうやって測るか、ということを考えると、まぁ、はかれないですよね。とするとそれは説得のロジックになる。100万年後に意義が出てくる研究には金だせないけど、俺の老後を明るくしてくれるのには金出すぜ,ということを説得?
    あるいは、嘘も方便ってこと?

    いずれにせよ、社会的意義を持ち出すと、evaluation の仕方とペアになり、客観的な指標ではかれないものには投資されない、ってことにならないですか? という懸念表明です。

  9. Naotakaさんのコメント:

    研究の意義は自分で納得出来るのが最初で、カネがかかる時はそこから現実世界との整合性をとるプロセスが発生する訳で、それが社会的意義という形で要請されると言うだけです。

    そのやり方は各自がそれぞれのやり方でやればいいんじゃないですか?

    カネのやり取りが発生しないのであれば、そんなものを考える必要はないですが、今時カネのかからない研究なんて無いよね。だったら、それを考えないと研究は継続できない。それをするかしないかは各自が勝手に決めればいい。ただ僕の領域ではそれでは仕事を継続できないので、それは研究者としての必須事項です。

  10. フチコマけんじさんのコメント:

    先生の意見に反対してないですよ。
    社会的意義って、どうやって測ればいいのか、それをきいてるだけです。

  11. Naotakaさんのコメント:

    絶対的な社会的意義なんか、評価は無理だよね。時間がかからないと分からない。それを求められた時に、その時点でのベストゲスを正直に見せるしか無いと思います。むしろ、社会的意義を、自分が面白いと思っている事を相手にも面白いと分かってもらう事と言い換えるなら、いいんじゃない?

  12. フチコマけんじさんのコメント:

    プラクティカルなこと?  そうか、ぼくは真面目に社会還元について考えていたので。お金をとる方便ではなく。

  13. Naotakaさんのコメント:

    プラクティカルな事が不真面目だとは思えないけど、真面目とそうじゃない事の差は、僕自身はあまり差が無いと思ってるけどな。

    研究分野によって社会とのとつながり方が違うから、一般的な議論は難しいよね。

  14. フチコマ健司さんのコメント:

    プラクティカルなことが不真面目とは書いてないですよ。ただ、社会的な還元は、お金取る取らないとは関係なく、考えるべき問題なので。

  15. Naotakaさんのコメント:

    あれ?発端はヴァレラとかアインシュタインは社会還元なんか考えてなかったから、そんなの必要なのかってことだったんじゃないの?

    少なくともどんな形でも僕は僕なりに考えてるし、みんなもそれぞれの形で考えればいいんじゃないでしょうか?

  16. フチコマけんじさんのコメント:

    研究は純粋だから、社会還元とは関係ない形で、結果としてそれが社会還元になればいいということですよ。ヴァレラとかアインシュタインは、研究と社会還元を直接結びつけてはいなかったでしょ。

    研究と直接関係なくても、今日のトークの社会還元性、とかは考えますよ。本かいたことの社会還元性とか。ぼくは、アートで社会還元。アートのもとにはサイエンスのアイディアがある。