ジンギスカン 部分的不自由
7月 11

昨日TwitterのTLを見ていて、困ったなと思った。何が困ったかと言えば、あるひとのtweetに「だんなはこれくらいの酒ですっかり酔っぱらってしまって可哀想」というのがあったから。

アルコールの分解酵素に関しては、遺伝的に個体差がある訳で、僕なんかは全然ダメで、ビール一杯で真っ赤だし、空きっ腹に飲むとあっという間に眠りに入ってしまう。それって、自分の意思ではコントロール出来ない事だから、どうしようもないんだけど、お酒が強いヒトからは「それくらいなんとかしろよ」っていう視線をいつも感じる。「そう言われてもねぇ」なんだけど。

まあ、同じ構図は、女性差別だったり、人種差別だったり至る所にあるのだけど、そのそれぞれのCongenitalな要素毎に、ヒトは差別に無自覚になれるという事らしい。アルコールの事も、皮膚の色と全く同じく、個人の努力の外側にあるのだけど、まるで「自分の生まれを呪うがいい」とでも言うような態度を取るヒトがいる。他の事ではすごく寛容だったりすると、なおさら残念。

僕自身は、Affirmative Actionにはなんとなく釈然としない事も多いのだけど、気がつかない所でCongenitalな要素で損をする社会は理想的とは呼べない。ただ、理想的な社会がわたしたちの向かうべき社会なのかは正直分からない。僕より優秀なヒトが、僕がアジア人のマイノリティだからっていう理由で、僕に負けるとしたら、きっと複雑な気持ちになる。

ヒトが気がつかない所で色々な差別をすることが仕方がない事ならば、それを構造的に是正することがAffirmative Action。でも、その是正の結果何が生まれるのかは明確に示されているのだろうか。制度は作った時点で、誰かが有利になって誰かが不利になるものだから、Affirmative Actionは単なる制度の一つに過ぎない事は理解すべきだと思う。それが受け入れられているのは、差別はいけませんという、誰も反対出来ない「大義」があるからで、選択の一つという点では、他の制度と同じ。

アルコールが飲めない事で、コミュニケーションの一部がうまく機能しないということは仕方がない。そういうチャンネルが確かにあって、しかも特定の場面でそれが必要とされるというのも理解出来る。それで随分損してるなと思う事もあるけれど、そういうチャンネルでしか繫がる事の出来ない相手とは実はあまり重要じゃないのではないかとも思う。本当につながりたい相手とは、チャンネルを問わずに繫がるものだし、自分も相手もそのギャップをなんとか埋めようとするものだ。ヒトを引き寄せる魅力というものは、どうやって身につければいいのだろうか?もしかして、それが一番Congenitalなことなのかもしれない。もしそうなら、僕の人好きのしないところは諦めるより仕方がないってことか。

“Congenitalなこと” に1件のコメント

  1. Tweets that mention BrainHackers - Naotaka Fujii -- Topsy.comさんのコメント:

    [...] This post was mentioned on Twitter by takeo yamamoto. takeo yamamoto said: RT @NaotakaFujii: ブログ更新 「Congenitalなこと」 http://bit.ly/aSER8u [...]

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