7月 03

311後、初めて仙台に行ってきました。せんだいメディアテークで行われた東北大学GCOEの脳カフェでのトーク。で、打ち上げは国分町で、12時位まで若者達に囲まれて水パイプ吸ったりして楽しく過ごす。
今回は僕にしては珍しく一泊したのだけど、仙台市内も、国分町も震災の気配は殆どなくて、もちろん町中に点在する地震で壊れた家はあるものの深刻さは微塵も感じられない。
打ち上げの時にそんな事を言うと、一緒だったみんなが、一度海の方へ行って、津波の痕を見ておいた方が良いという。なので、タクシーをつかまえて荒浜に行ってきた。荒浜は震災直後に400人の遺体が見つかったと報道され、結局それ以上の方々が亡くなられた場所。そして、昔海水浴によく行った場所。
タクシーに乗っていてもある地点まではまったく普通。ところがある点を過ぎると急に瓦礫が山になっていて、さらに海に近づくにつれ、その量がどんどん増えていく。そして、何も無い場所をふとみれば、それは住宅の基礎の跡。つまり、本来なら家が並んでいた場所がスコンと本当に何も無い。そして、ニュースで見ていたように自動車があり得ない形で潰れていたり、ひっくり返ったりしてる。

最初は何とも無かったのだけど、そういう中に立っていると段々重苦しさが酷くなって来て、とても苦しい気持ちになった。周りに何も無いからというより、何かあったはずだから感じる何かは、気持ちと身体に直接やって来る。
そんな中にいると、単純に自然って怖いなとやっぱり思う。ヒトは自然が怖いから科学してきた。少なくとも僕はそう思う。そして、どんなに科学したって克服出来ないものがあるっていうのは、やっぱりいつもどこかに覚えておかないといけないんだ。一方で、こういう話をすると、自然が怖いから科学するっていうのに同意してくれない科学者が多いのには結構驚く。きっとそういうヒトは、きっと自分も自然の一部だって言う実感がないまま生きているんだと思う。僕は、それは明らかに間違いだと思うんだ。