4月 05

去年母が亡くなって一人残された父が、先月熱発とねんざで入院して、しかもなんだかボケが進んで困ってる。ねんざで動けないときは、本当に自分がどこにいるのかもどういう状態なのかも分かっていなくて、動けないのと合わせて、このまま死んじゃうんじゃないかと思ったけど、ねんざが治って歩けるようになったら、段々ぼんやりした感じが治って来て一応普通の会話が出来るようになった。まだ色々辻褄の合わない事を言ってるけど、まあとりあえずは入院前の8掛けくらいまで回復したので、放っておいても大丈夫な感じ。

で、死ぬってことをまた考えてみた。今までは、ヒトがどうやって死んでいくかっていうことをメディアで取り上げる事はなかったけど、先日のクローズアップ現代で死に方の選択の話があって、もしかしたらこれからは死というものが表に出る社会になりつつあるのかなと少し期待した。何と言っても、先進国というものは一様に死を隠すからね。近代文明社会ってのは生者の理論で出来てるから、死を表に出すのは都合が悪いんだろう。

死ぬってのは避けられない事だけれど、それなのにいつ死ぬかってのが分からないから不安もあるし、人生の設計も非常に難しくなる。

だから思うんだけど、ある一定以上の年齢のヒトは、自分で死ぬ時期を決められるようにしてくれれば良いと思う。もちろん色々な条件設定は必要だろうけど、そうしたら、生活の不安も解消出来るし、色々な物事を計画的に立てられるよね。もちろん死そのものへの不安は消えないけれど、死にまつわる周辺の不安の方が多いだろうから、そこを減らすだけで、人生にポジティブな効果を与えてくれるのではないかと思う。少なくとも、いつでも死ねると思えば、色々な事にチャレンジしても怖くない。

終末医療の一環とは違う、明るく尊厳を持って死んでいくというオプションがあっても良いと思うんだよね。まあ、夫婦別姓すら決められない人たちには無理な話だと思うけどね。