12月 23

最近、Oculus Riftとかジェミノイドとかを実際に自分で操作したり、体験したりして、SRでも色々な事をやってみて、色々考えたのを書き付けておく。

まず、Oculus Riftの広視野角というのは間違いなく正義で、あのおかげでいわゆる臨場感というのは格段に向上している。それは間違いない。
一方で、Oculus環境で見えているものは、スクリーンに通常映しているものの拡張が殆どで、コンテンツとしては殆どがこれまでの延長であることが多い。FPSなんかをOculusで遊ぶっていうのがその典型で、インターフェイスとしての没入型デバイスにすぎない使い方が多い。この場合は、別にHMDである必要もなくて、マルチウィンドウでもドーム型スクリーンでも構わない。
それと違うのは、Oculus空間内でのアヴァターとのインタラクションで、 これは明らかに前者の使い方と異なっている。例えば、ミクと視線を介したコミュニケーションを行うと、別に周りの空間が人工的だとかミクが作り物であるとかは全く関係なく、ココロの中に瞬間的に立ち上がる他者の実在感にビックリする。これは、別に触覚や嗅覚などは全く必要とせず、視覚のみで瞬間的に立ち上がる何かで、全てが偽物であると分かっているだけに、その自動的な立ち上がりに動揺せざるを得ない。というか動揺した。

それと似ている感覚は、ジェミノイドを見ているときにも発生する。たとえば、米朝の落語をジェミノイドを使って聞くと、ジェミノイドは明らかにロボットの動きしかしないし、骨格も自然とは言い難い。しかし、瞬間的にこれは本物かもしれないとハッとすることがあって、しかもそれが結構頻繁に起きることに動揺する。つまりそれは、そこには間違いなくエージェントは存在しないと分かっていても、その信念を裏切って、自分の心の中に強制的にエージェントを立ち上げてしまう仕組みが僕の頭の中にあるということを示している。

SRでの体験はそれらとはやや異なっている。SRでは、見えている映像は現実もしくは現実から地続きに与えられる仮想的な現実であることが殆ど。なので、目に見えている他者にエージェンシーを感じるかどうかというのは予めクリアされている。つまり、SR内では映像の中の他者にエージェンシーを感じないということはあまり無い。
とはいえ、SRを使ってミクやジェミノイドが与えるようなエージェンシーを持たない存在にエージェンシーを瞬間的に付与することは不可能ではなくて、映像上演出的に明らかに仮想的な存在だと思わせておいて、身体接触を行わせたりすると、誰もが一瞬混乱した後に、その接触を現実だと考えるように過去の主観を操作して話を作り上げてしまう。

そういう類似の技術と比較してのSRの利点というのは、映像上の他者に対して、エージェンシーを長時間維持する事が出来る点かもしれない。ただ、これは必ずしもエージェンシーを積極的に維持しているという訳では無く、単純にこのヒトは確かに存在するという瞬間的な判断と、その判断を疑わないだけで良いのかもしれない。
言い換えると、ぼくたちの他者に対する実存感覚というのは、それが立ち上がった後は、疑う理由が無ければ自然に維持されるようになっているのかもしれない。ジェミノイドやOculus環境では、視覚的には偽物であることが明らかなので、一旦立ち上がった実在知覚があっという間に壊されてしまう。この壊すきっかけを与えないことが、自動的に立ち上がる他者性を維持するための秘密なのかもしれないね。

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