3月 11
2008年の4月に発足した適応知性研究チームから、初めての論文がアクセプトされました。Nature, Science, Nature Neuroscience, Neuron, PNAS, PLoS biologyとさんざんに蹴とばされて、結局“Frontiers in Neuroengineering“にアクセプトされました。新しいオンライン雑誌としては評判は悪くないのと、BMI用長期留置電極の安定性対策特集というマニアックな特集号で、BMIの電極開発に関係するヒト達の注意を惹きそうなので、最初の一歩としては悪くないかと思います。
内容はECoGを使ったデコーディングとその長期安定性に関する論文。この方法は、少なくとも安定度という点では世界の誰にも負けないクオリティで、最先端の技術です。今回は、バイオロジー系の雑誌、つまりリジェクトされた全ての雑誌から、「これはバイオロジーじゃない」って言われたので、今度はこの技術を使って、誰が何と言っても「これは間違いなくバイオロジーです」って言う論文を出してみたいと思います。
それにしても、心の底からホッとした。あーよかった。
3月 07
認知科学の社会への貢献を考える。おそらく社会は、科学への投資の短期的な回収は望んでいないだろう。科学がそのようなモノに役に立たない事はすでに過去の歴史から実証済みで、もしそれを望むなら、すでに科学は衰退していてもおかしくない。しかし、現実に科学は存続している訳で、それゆえ社会の科学への期待は短期的回収にはないと言って良いだろう。では、何を期待されているのか。
以前に毎日出版文化賞をいただいた時に書いたエントリーで、「科学の目的は、自然が怖いから、灯りをつけて回るため」だと書いた。今でもそう思うけど、それを一歩進めると、灯りをつけるというのはどういう意味なのかと考えなければいけない。
石黒さんは、「ロボットとはなにか?」で、「ロボットを作るという事は、哲学する事」であると言っている。石黒さんは、僕なんか足下にも及ぶ事のできないマッドサイエンティストだが、同書を読みながら、なんとなく似たような事を考えているのだなぁと思った。
もしかしたら、実は、先の灯りをつけて回るということは、石黒さんの言うところの哲学するということなのじゃないだろうか。現実の哲学者は、問題を上手に整理してくれるヒト達だけど、実際の解決能力はあまり期待出来ない。なぜなら、検証に必要な人知を超えた操作ができないから。ところが、科学者はそれができる。自然の中に隠れている、見えないもの、それまで無かったものをひっぱり出してくる事が出来る。それは、僕たちの経験則的な世界の見方、社会の見方を根本的に変える可能性を秘めている。石黒さんは、「タブーを引き起こす事が大事だ。芸術と科学が違うのは、科学はタブーのギリギリを攻めないといけない点だ。芸術はそこを超える事が出来る」と言う。僕もそのとおりだと思う。
半歩先を進むのは振り返れば仲間がいるから安心出来る。だけど、ヒトの道先案内人の役割は果たせない。灯りの役目は他のヒトから少し離れた所に無いと意味が無いから。
離れた所を一人でグイグイ歩くということは、後ろに誰かがついてくるという保証は無いし、不安だらけだ。でも、社会からの投資に応えるためには、そこを果敢に攻め続ける以外に無いに違いないと、石黒さんの本を読みながら思った。つまり、科学者の社会貢献度はその研究態度に現れるということだ。
近頃は、社会還元というお題目が盛んに言われるけれど、ギリギリの所を不安を抱えながら進んでいない科学者には苦痛に違いない。なぜなら、語るべきオリジナルの哲学を持てないから。引用や参照ベースの思索から突拍子も無い変わったアイディアは生まれにくいのだ。
社会還元のためのアウトリーチとは、プレスリリースのように実験の結果を伝える事ではなくて、科学するときに沸き起こる思索の過程と、その結果自分のココロが揺らぐ経験を伝えることなのじゃないか。僕には、今の自分が出来る社会還元はそれ以外には見いだせない。なぜなら、具体的な研究結果の詳細を一般のヒトと共有して、一緒に考える事は出来ないけれど、経験や思索は共有して、より良い社会を作るために一緒に考える事が出来るから。
そこには、サイエンスリテラシーは殆ど必要ないだろう。誰にでも分かる平易な言葉で、思索と経験を語るだけで良いのではないだろうか。それは、科学者以外には出来ない特権なのだ。だから、科学者はもっとその特権を使うべきだ。
石黒さんの「ロボットとは何か」は、そういう視点で読む事をお勧めする。ヒトを理解するためのマッドサイエンス。実に潔く羨ましい方法。僕もマッドという点で負けたくないぞ。
3月 07
2年に一度行われる大学の同窓会に参加した。当然の事ながら全員少しずつ年をとって来ている。同窓会は、自分の現状を推し量るには丁度良い機会だ。同期というものは、特に医学部の同期というのは、自分がそうなるかもしれなかった可能性の一つを示していて、本当にいつも興味深い。同じ職種にほぼ全員がついているという点で、他の学部と比較して特異かもしれない。
みんな臨床家として、とても頑張っている様子がよく分かる。現場を支える彼らがもっと報われるといいなぁと思う。2年前は、医療崩壊が始まったまっただ中でみんな苦労している様子が見えたのだけれど、もはやそれが恒常的になって、文句を言うよりそれを前提にしたシステムをなんとかしようとしているみたいだった。選択肢を一つ変えれば、間違いなく僕も彼らと同じように四苦八苦していたに違いないと考えると不思議な気持ちになる。
そんな中に混じって、自分が何物なのかという事をいつも考えてしまうのだけれど、本当に年をとればとる程、自分がどこに向かって何をしていくのかが見えなくなっている。果たして、誰のために、何のために巨額の予算を使って研究を進めているのか?本当にこれで良いのか?悩みは尽きない。
同窓会の帰り道では、「もっと頑張って、次の同窓会ではそれをみんなに見てもらおう」といつも思う。先が見えない不安は、逆に言えば今とは違う可能性が広がっているのだと思えば良いのだろうと考えるしかない。となりの芝は青いもので、同期のそれぞれが似たような不安を抱えて生きているのはよく分かる。いずれにしても、不安を抱えながらでなければ現状を変える事はできない。不安の無い人生より、不安だらけの人生の方がきっと自分にとっても社会にとっても良い事なのに違いないと言い聞かせる。
来年は卒後20年。果たしてそこで僕はみんなに何を話せるのだろうか。楽しみでもあり、不安でもある。
3月 05
上がったり下がったり。みんながんばってます。大丈夫、きっとなんとかなるさ。それもこれも、産みの苦しみ。
明日は仙台で大学の同窓会。昼飯後の2時から6時までの4時間、誰か暇なヒトいたら連絡ください。まあ、漫画喫茶で昼寝も良いんだが、大人としてそれもどうかと。
3月 03

移動知シンポジウム帰りに、仙台駅の立ち食い寿司北辰寿司へ寄ってきました。本マグロの頭、スジ、尾、皮とか変わったところを炙った奴らに普通のマグロシリーズ、北寄貝、赤貝、ツブ貝、カワハギ、ホヤ、イカワタ、カニ、ホタテなどケース内の一通りのネタを3人でたらふく食べて、3人で10000円。お昼で、飲んでないというのを考えても驚異的なCP。この値段が10倍になっても、美味しさはせいぜい2割増し程度だろうから、僕はこのレベルで十分というか、これ以上いらない。写真をみて分かる通りikegもたけちゅーも大満足。ウマー!お勧めです。