1月 28
うちのラボで作っているSRシステム。去年の秋からパフォーマンスグループのグラインダーマン田口さん伊豆さんと一緒に色々な表現を模索している。最近「おっ!」と思ったのが、過去と現在を半分ずつまぜた50-50っていう表現。
映像だとよくわからないかもしれないけど、自分で体験すると、まさにシックスッセンス的な不思議な感じになる。体験者の視点だと主観的になるのでそうなんだけど、一方それを端からみてると、なんというか死者と生者が共存する世界のように見える。しかも、目の前で現実に起きていることは、画面の中の半分でしかないのに、逆にそれが現実には思えなくなる。違いはvisuo-motor couplingの有無なんだけど、明らかに違う経験。
もしかしたら、これって能の幽玄に近い感覚なのかなと思ったら、絶対そうに違いないと確信したりして、結構愉快。しかも、スクリーンで見ているヒトは能舞台を見る視点だけど、SRを体験しているヒトの視点は、能を演じる演者の視点。これは今までは舞台に上る演者しか体験出来なかった訳で、我ながらすごいんじゃないかと。
映像表現としてはこれでも十分新しいのだけれど、これをさらにパフォーマンスとして昇華させる方法を模索中。色々楽しいぞ。
1月 26
昨年の4月からコースを取って、ラボのメンバー6人に毎週30分ずつコーチングらしきものを続けてきた。合間に自分でもコーチを受けて、それが昨日で9回目を終了して、認定コーチの受験資格が取れた。再来月に試験があるみたいなので、それに通れば晴れて認定コーチになれる。
まあ、僕の場合は認定コーチになったからと言って、何が変わる訳では無いけれど、いくつか気がついた事があるので、忘れないうちに簡単にまとめてみる。
まず、直接の利害関係者同士のコーチングはそうじゃない場合と比べて難しい気がすること。コーチングは、時間の制約があるときには効果が出しにくいので、リーダーと部下のように目的を共有していると、コーチングじゃなくてティーチングになりがち。それはそれで意味があるのだけれど、コーチングの目的から離れてしまっては折角の時間が勿体ない。僕の場合はやはり時間のリミットがあるから、ついつい短期的な成果の話になりがちだった。これはよくない。
2番目は、物事を腹落ちしてもらうことが本当に難しい事。繰り返し同じ内容をフィードバックして、たとえそれが完璧に頭に残って分かっていても、腹に落ちない限りヒトは変わらない。そのきっかけは大抵、今までの違う視点で物事を見るっていう単純なことなんだけど、それがなかなか難しいらしい。そういう視点移動のための質問レパートリーを沢山準備することが重要なんだと思う。
視点を変えるっていうのは、刑事ドラマとかで、「おかあさんは泣いているぞ」っていうのと同じ仕組み。つまり、おかあさん視点で現状を見ると、自分がどんな馬鹿な事をやっているかが分かるっていうこと。
3番目は、各自の成果を振り返ってもらうことで達成感を味わって貰うことが重要なこと。どうやら、ヒトは厳しい環境に置かれても、自分が達成した事を実感出来れば次に向かって行けるらしい。
僕は、キャラ的に恐いヒトということになっているらしいので、 どうしたものかと思っていたのだけれど、この達成感を味わってもらうという事が今まで抜け落ちていたので、そこをきちんとやれば、恐いキャラでも良いみたいだっていうのが分かった。それは褒めるって言う事じゃなくて、単純に過去の自分との比較をしてもらうだけで良いんじゃないかと。
そういう意味で、僕のステークホルダーのみなさんは、この1年弱で随分変わった。何より、僕と目的を共有出来ていることが大きい。さらに、みんな時間のマネジメントスキルが随分上手になったと思う。それらは、毎週一回30分の時間が無かったら起きなかった事だと考えると、とりあえず続けてきて良かったと思う。
試行錯誤ですが、もう少し続けてみようと思います。
12月 31
今年一年を振り返ってみると、日本という国のシステムにただ絶望した一年だった。これほどの資産を抱えながら、それを有効に使う事も出来ず、長期的な戦略もないために、将来に対する一時の我慢も堂々と国民に強いる事が出来ないシステムは、僕たちに希望を全く与えてくれない。なので、これからは僕自身も、僕の周りのヒトも、世界中のどこでも生きて行けるようなスキルを身につける以外に生き残る方法はないと思うようになった。
そういう時に僕が出来る事は、僕の身の回りのヒト達が持っている可能性をできるだけ伸ばす環境を作る事ぐらい。だから、今年の春からコーチングのコースを取ってみて、それを実践してみようと思った。コーチングは、会話を通じて相手の中にある答えを自分自身で気づいてもらうことで、各個人のパフォーマンスを引き延ばすというメソッド。そうは言っても、言うのは簡単だけどそんなに簡単じゃない。
実際は、単純に週に30分のミーティングを行うだけだし、その半分は実務的な打ち合わせで終わってしまうのだけれど、それ以外の時間を各自の目的設定とその実現に関して一緒に考えるように心がけた。研究者の仕事は、普通の企業のように4半期毎に成果を設定する事は難しい。なので、コーチングのクラスでの実例なんかはあまり役に立たないし、各自の研究者としての経験値が違うので、それぞれのスキルに合わせて試行錯誤するしかなかった。で、それぞれの研究員が持っている短期的目標とその達成度合いを毎週話し続けてみた結果、どの研究員に関しても、一番見込みが甘いのは論文作成に関してだということがよく分かった。
少し前に、「研究工程のうち、実験部分は2割、解析して図が出来てようやく半分、投稿して8割、リバイスアクセプトで完了っていう話をすると、年期の入ったポスドクですらえっ?って顔する。今まで何やってたんだろう?っていうか実験終わっただけで8割終わった気でいるのが不思議。だから焦らないんだね。」というのをtweetしたら、随分沢山RTされて驚いた。たぶん、「えっ?」って思ったヒトが多かったんだろう。
でも、これは多分本当で、実験部分で2割というのも多い位かもしれない。むしろ本当のところは「実験終了で1割、図が出来て3割、投稿して半分、リバイス出して8割、アクセプトで完了」というのが実際に近い。つまり、実験しただけで満足してるヒトは、いつまでたっても論文が出せないっていうことで、実際に論文が極端に少ないヒトは、実験に取りかかるまでが半分、実験終わって9割程度に思ってるみたいで驚く。焦らないから仕事が遅くて、しかも時代について行けてないから大した論文が出ない。そういうヒトは、PIにもなれないだろうし、当然今どきの世知辛いご時世でのラボの運営なんて無理。大体最新の論文は、普通は数年前の最前線ですよ。そこでモノを考えてたら最前線でなんか戦える訳ないよね。
ただ、これを逆に考えれば、実験そのものが占めるヴォリュームが少ないのだったら、色々な思いつきの実験を手当り次第にやってみればいいいじゃんかという考え方も出来るのだけど、仕事の遅いヒトはどうやらそれが出来ないらしい。半年くらい、ただ論文だけ読んで実験計画立ててたりする。石橋を叩いてばかりで渡らないから、無駄メシばかり食べてる。
限られたリソースでの勝負を目指すなら、とにかく動くしかないという教育を、この国では行って来なかった。もちろん、長期的戦略にもとづく、大きなプロジェクトの有用性は否定しない。でも、もし自分がそういう大きなプロジェクトにアサインされていないのであれば、まず動くしかない。そこにしか活路はないし、知性はそういう場所でこそ必要とされるんだから。
ということで、今年は嫌々ながらみなさんのお尻を叩き続けて、ようやくアクセプトがブックチャプター入れて4本、MIT時代の1本入れたら5本、リバイス中が2本、投稿中が1本、投稿直前が3本、投稿準備中が2本と言った程度。その他にNeurotycho絡みの共同研究が3本位準備中。チームレビューが2年後なので、それまでに大物をなんとかしたい所存。ついでに、今年作ったプレゼンファイルは40本前後ということで、趣味のアウトリーチもまあまあやってます。前半はヒマだったのに後半少し忙しくなってちょっと嬉しい一年でした。個人的な満足度としては、まだ3割程度なので、みなさんにはますます自分のために頑張っていただきたいと思います。僕はそのおこぼれで十分です。
12月 16
今日の夕方、ネスカフェカフェでの仕事にも飽きた頃、ふと「ミンミンの餃子が食べたいー」とつぶやいたら、最近無職でゴロゴロしていたアンリから、「それ乗った」という返事があり、忘年会が一件もない寂しいアンリ家とやはり同じく寂しい僕の3人でミンミンで忘年会モドキ。すごく混んでたけど、気が利くアンリが予約を取ってくれてて無事座れた。
頼んだのは、ピータン豆腐、若鶏の唐揚げ、餃子4人前、麻婆豆腐にドラゴン炒飯。とにかく、餃子がウマい。本当にウマい。ウマいを表現する言葉が「ウマー」くらいしか思いつかない自分の不甲斐なさと、日本語のウマさ表現能力の低さに絶望するくらいウマー。どうして日本語は、おいしい表現が貧弱なのでしょう?日本語同様、英語も大したことないけど、アラビア語なら沢山ありそうだ。よく知らないけど。
で、ウマーなので本当に幸せな気分になって、松沢先生に倣って明日以降の事を考えるのをちょっとやめてみたら、さらに幸せになった。僕は世界の美食なんか極めたいと思わないし、ミンミンの餃子で十分満足満足。
12月 04
昼ご飯を広尾で食べて、テクテク歩いて帰る途中、前から気になっていたSUS Gallery に寄ってみて驚いた。そこに並んでいたカップは、実に美しく何にも似ていない。しかもまぎれもなく日本。
それらは、最先端のチタン加工技術を使って作った薄いうつわを2重に接合し、中間に真空層を作る事で魔法瓶と同じような高い断熱性を持たせているという。しかも二重のカップを溶接したカップの縁はうすはりのように薄い。それだけでも凄いのに、さらにその制作過程に生じるチタンの再結晶化で生まれる素晴らしい自然の文様を活かし、その表面の皮膜の厚みまでコントロールして様々な色味を生み出している。その結果、金属でありながら、まったく金属らしくない暖かみがある。この色の出し方は、シャボン玉の色の出方と同じ理屈なのだそうだ。手で触れると皮脂の厚みで、色が変わる。
SUS galleryのtitanium製品は本当に美しい。特にmagentaは、どれも一つとして同じ色味を見せない。全てがまったく違う文様と、それゆえに異なった色を纏っている。僕が買ったピースは、外側がまるで土を薄く焼き締めたようなテクスチャで、内側はピンクゴールドのように渋く輝いている。本当に日本人の感性がなければこれは作れないと思う。見ただけで、これがチタンで出来ていると分かるヒトはいないだろう。そして、手に取ってその軽さに驚愕するだろう。
現代の最先端の技術を用いながら、何百年もの間大事にされ続けてきたもののような、本当に味わい深いうつわ。久しぶりに心が震えた。もしかしたら、こんなに心が震えたのは、初めてスパーセブンを買った帰り道以来かもしれない。