2013/07 07

最近、欲しいものが全然無くなって来た。本当に無い。ビックリする。

今までは、興味のあるもので、まだ手に入れていないものに対して、なんとなくの憧れがあって、それを手に入れたらどうなるのだろうかという夢みたいな気持ちが絶えずあった。

だけど、そこそこの年齢になって、そこそこのお金が貯まって、好きな車でいうなら、マクラーレンF1は買えないけど。頑張ればMP4-12Cは買えるかもしれない。時計だって、僕が一番好きなランゲ1をプラチナで買ったとしても、オリジナルのランゲ1なら、まあたかが知れている。服だって、好きなものを買おうと思えばまあ買える。みたいな感じになってみると、逆に実際に買おうっていう気にならない。

靴なんかは一時期Edward GreenとJohn Lobbを結構集めたけど、結局普段一番履いてるのは、メレルのペタンコ靴だったりする。メガネだって沢山持ってたけど、今使っている竹のフレームのメガネを買ってからはほぼ7−8年一本も買ってない。

なんというか、このままだと仙人になっちゃうんじゃないかと心配でしょうがない。本当に。だから、あえて肉々って騒ぎ立てたりしてる。本当はどうでも良いんだけど。

でも、欲しいと思うものが無い訳では無くて、ここ1年以上続けているランニング用の道具類は欲しいと思う。機能的に必要だから。まあ、物欲なんて必要ベースで考えればそんなに無くても良いものなのかもしれないけど、なんとなく寂しいなと思うこの頃です。

2013/06 04

去年の2月から突然走り始め、その後NIKE+で11月から記録をつけ始めて以来800キロ少々を走ってる。最近だと一日おきに走って、大体月に150キロくらい。まあ、本気で走ってるヒトからしたら大した事ない距離だと思いますが、僕からしたら大した事なので、続けている自分を褒めてやりたい。オレ偉い。

で、一昨日ハッと気がついたのだけど、もしかしたら自分がデブカテゴリに入っていないのではないか?もしくは場合によっては痩せているヒトカテゴリなのかもしれないと思った。

僕は10歳の時に博多から東京に出て来た後、グングン太って高校2年には100キロ近くあった。当然運動も出来ないし、モテない。というわけで、一番多感な時期にデブだった僕は、自分自身に対して強烈なデブの烙印を押していて、体重のいかんに関わらず常に自分がデブと強く思い続けて来た。高2の時に40キロ近い減量に成功したけれども、それ以降の30年間、引き続き自分がデブなのだという感覚は続いていた。それは実にもの凄いコンプレックスだった。
ところが最近、走り始めて1年以上経ったおかげで足の形が変わって来たこともあり、もしかしたらオレって太っていないのかもと思うようになった。もちろん、その度に「いやいやそれは間違いです」と打ち消して来たのだけど、一昨日ハッとした瞬間に、あえて打ち消さなくても良いんじゃないかという気持ちになった。

つまり、30年経ったところでようやく自分からデブレッテルを取り外せるようになったらしい。似たような事は誰にでもあるのだろうけど、自分の中でそういう変化を実感できたのは、本当に面白いなと思った。脳ってほんとにバカだね。

2013/05 18

去年の秋にGYREで限定オープンしたOMOTE3D。ほぼ半年少々経って、ようやくオレフィギュアが届いた。

正直言って、全然期待してなかったから届いたのを見て驚いた。実によく出来ている。写真に撮ると、オレ以外の何ものでもなく、一緒に映っているミニフジちゃんぬいぐるみが2mくらいあるように見える。

これまで、ミニチュアというのは、多少のデフォルメをしないと本物っぽく見えないということが尤もらしい通説として言われて来た。例えばミニカーとかを本物の図面を単純に縮小しただけだと、まったく歪な形になってしまうから、職人の技が必要なんだと言われていた。

僕はそれをなんとなく信じていたけど、でも一方で不思議な気がしていた。だって、モノの形がスケールによって認知のされ方が違うって何かおかしいでしょ。当然、見えないくらいの小さなスケールなら、情報が抜け落ちるからそうかなと思うけど、そこそこの大きさのものの場合は、実は単純に製作精度の問題なんじゃないかと思ってた。たとえば、クルマのドアの鉄板の厚みとかガラスの厚みを実物と同じプロポーションの厚さで作るって安いミニカーなんかじゃ無理。でも、何十万、何百万もするような高級なモデルカーとか鉄道模型とかだと多分デフォルメなんかあまりしてない。それは素材と加工技術を駆使して、あらゆる部分のプロポーションを極限まで一致させられるから。

だから、デフォルメが必要なのは、製作精度が十分じゃないというだけなんじゃないかと思うんだよ。で、それを今回のオレフィギュアで確認できた。3Dスキャンは、とにかく全ての情報が同じ精度で計測されて、3Dプリンターで製作されている。だから、ある程度のスケールの範囲であれば視覚的なプロポーションはどの視点からみても実物のプロポーションと同じに保たれている。立体物のリアリティに関しては、このどこから見てもっていうのが一番重要で、3Dスキャナーも3Dプリンターも場所に応じてプロポーションを変えたりしない。あらゆるアングルで見えるフィギュアのプロポーションが、計測されたものと一致している。多分、これがリアリティを生む一番のキモなんだと思う。オレフィギュアは影のプロポーションですら完璧だ。
ヒトが目で見て、手で作るものはそうはいかない。プロポーションの一部が必ず歪むし、それを補償しようとして全体を歪ませる。だからエモーショナルなデフォルメが必要になるんだろう。

3Dプリント技術ってやっぱり面白い。そのうち精度が上がってアトムプリンティングとかが可能になって、マイクロマシンとかが作れるようになるといいなぁ。

2013/04 05

去年母が亡くなって一人残された父が、先月熱発とねんざで入院して、しかもなんだかボケが進んで困ってる。ねんざで動けないときは、本当に自分がどこにいるのかもどういう状態なのかも分かっていなくて、動けないのと合わせて、このまま死んじゃうんじゃないかと思ったけど、ねんざが治って歩けるようになったら、段々ぼんやりした感じが治って来て一応普通の会話が出来るようになった。まだ色々辻褄の合わない事を言ってるけど、まあとりあえずは入院前の8掛けくらいまで回復したので、放っておいても大丈夫な感じ。

で、死ぬってことをまた考えてみた。今までは、ヒトがどうやって死んでいくかっていうことをメディアで取り上げる事はなかったけど、先日のクローズアップ現代で死に方の選択の話があって、もしかしたらこれからは死というものが表に出る社会になりつつあるのかなと少し期待した。何と言っても、先進国というものは一様に死を隠すからね。近代文明社会ってのは生者の理論で出来てるから、死を表に出すのは都合が悪いんだろう。

死ぬってのは避けられない事だけれど、それなのにいつ死ぬかってのが分からないから不安もあるし、人生の設計も非常に難しくなる。

だから思うんだけど、ある一定以上の年齢のヒトは、自分で死ぬ時期を決められるようにしてくれれば良いと思う。もちろん色々な条件設定は必要だろうけど、そうしたら、生活の不安も解消出来るし、色々な物事を計画的に立てられるよね。もちろん死そのものへの不安は消えないけれど、死にまつわる周辺の不安の方が多いだろうから、そこを減らすだけで、人生にポジティブな効果を与えてくれるのではないかと思う。少なくとも、いつでも死ねると思えば、色々な事にチャレンジしても怖くない。

終末医療の一環とは違う、明るく尊厳を持って死んでいくというオプションがあっても良いと思うんだよね。まあ、夫婦別姓すら決められない人たちには無理な話だと思うけどね。

2013/03 18

最近、SRの使い方をずーっと考えていて、どういうコンテンツがデモンストレーションとして有効なのかなっていうのばかり考えてる。SRっていうのは、所詮プラットフォームに過ぎなくて、体験コンテンツをアプリケーションの形にして見せてあげないと誰も動いてくれないというのは、この半年色々なヒトに体験してもらった結果に気がついた事。

SRを体験した誰もが、これは新しいと言ってくれるのだけれど、各自の手持ちの技術やコンテンツをSRに乗せるには、こちらがほぼ完璧なお膳立てをしてあげなければプロジェクトが始まらない。当然ながら、それは集客、収益の話も込みで、面白いとか新しいというだけではリスクが邪魔をして創造性が表に出て来ない。まあ、当然なんだけど。

僕は、クリエイターっていう人種は、新しい変わったツールが出てくるとすぐに飛びつくのかと思っていたけど、実はそうでは無いらしいというのがちょっとした発見。

まあ、SRのような海のものとも山のものとも分からないものに自分の限られたリソースを割こうと思わないのは道理だから、最初は身近なフットワークの軽いヒト達と地道にコンテンツを作って行く必要があるのだろう。

というわけで、最近始めたプロジェクトの一つがSRxSI。これは、大根を使ったセクハラインターフェイスとSRを繋げたコンテンツ。今回は、SIの市原さん、渡井さんと一緒に作ってる。ちなみに、僕たちの悪ふざけに巻き込まれたくないワッキー先生は、極めて冷静に僕たちから距離を置いてる。
市原さんたちが開発したセクハラインターフェイスはこれ。

で、SIとSRときれいなお姉さんを合わせるとこんな感じで、まったく何がなんだか分からない異次元の世界へ。ファイナルなファンタージーへゴーですよ。

周りから見てもバカバカしいし、体験者本人もバカバカしいって分かってるのについつい楽しんでしまうという、バカバカの3乗的なコンテンツ。なにより体験者のニヤニヤした顔が良いんだよねー。

一方、真面目な話をするならば、SRxSIはエモーショナルなインタラクションが可能なSR環境の構築という目的があって、これまでのSRに足りなかったインタラクションの新しい要素技術の開発が目的です。表現形がバカバカしいというだけで、中身は極めて真面目にやっているんですと一応言い訳しておきます。

まだ、これから色々な調整が必要ですが、そのうち体験会とか出来ると良いなと思ってます。