2月 21
昨年秋に投稿した論文が通りましたよとのメールが届きました。Social Neuroscienceという雑誌ですが、この雑誌はアクセプトになってから実際に紙媒体で出るまで時間がかかりますから、今回の論文も何時出るのかは不明。去年の5月にアクセプトになった別の論文もまだ出てないし、オンラインでダウンロードできるのにPubMedではまだ出てきません。このスピード感の無さっていうのは全然イマドキでないですね。
これで去年の春先からまとめて書いていた一連の論文シリーズがひと段落します。投稿中の論文も準備中の論文もなくなりましたので、また貯金を始めないといけません。在庫一掃です。ちょっとすっきりして気持ち良い。でも、予備実験の結果とか、解析途中の案件とかいくつかあるから、しばらく糊口をしのぐには、なんとかなるんじゃないでしょうか。そんな間に全然違う事も準備していて、そっちは無茶な仕事だから結構楽しいです。
2月 18
今日、N坂さんに手術をやってもらって、外回りでプラプラ見ていたのですが、術中にちょっとした懸念が発生。見込みが甘かったと言えば甘かったですけど、うーんと腕組み。ちょっと駄目かもと思ってヒトが手術してる横でEngadgetとか見てたら、はっとひらめいた訳です。新しい解決方法を。まあ、思いついてみれば新しくもなんともないのですけど、結構良い感じじゃないかと。確かにこの間、Y向さんが、隙間に骨片埋めるって言ってたから当たり前の発想なんでしょうが、気がつかなかったなぁ。うまく行くといいです。
そういえば、IBMがAirみたいなX300とかいうマシンを出すそうじゃないですか。光学ドライブ付きで1.3Kgくらいって中々。でもなーVISTAとパワポには正直戻りたくないんだけどな。OSXがどのマシンにも載せられるようになるとホントにいいんだけど。MSがVISTAで世界をがっかりさせてる今なら、ありだと思うんだけど。OSX1ライセンス5000円とかの戦略価格でどーんとね。カッコいい認定マシンでしか動かないってのはどうよ?
2月 15
昨日から風邪でクラクラしているのですが、今日は大事なプレゼンがあるので体力を振り絞って頑張ってみました。なんだか分からないテーマを前にして、どこまで相手の欲しい物を提供することが出来るかという、最近なぜか多い挑戦系のプレゼンです。最初に、相手方からこんなもの期待してるんですって言われて、それを聞きながらシメシメ。だって、準備したプレゼンはど真ん中ストレートなんだもの。ウシシですよ。久しぶりに会心の出来でした。自己評価で80点くらいはあげてもいい気がします。プレゼンに失敗すると、いつもがっかりしますけど、今日は結構いい気持ちで帰宅しました。
で、晩ご飯食べてから移動知の報告書。一昨日気がついて、英文4ページ、和文4ページという報告書ですので、かなり焦りました。もはやどうしようもないので、まずは去年通った論文を短くして英文報告書を作成。それを和訳するという荒技で乗り切りました。自分の英文論文を和訳するというのは初めてですが、何をどうしても翻訳口調になるのは面白いと思いました。英語と日本語の論理の立て方の違いでしょうか?
1月 29
最近思うのは、「心の理論」っていうのは、僕たちの脳にデフォルトで働いている機能なのではなくて、必要に応じて引っ張りだしてくるものなのじゃないかと。もともと、そんな機能が脳に実装されている訳でなくて、環境と教育の中で身につけるんですよね。多分遺伝的な要素は殆どないんじゃないかと。
というのも、駅とか道とかで怒ってるおじさんとかおばさんを見ていると、どう考えても「心の理論」が実装されているようにはみえない。もしかしたら、相手の視点からモノを考える能力は、ヒトであれば誰にでも備わっているデフォルトの能力だっていうのは勘違いで、本当は違うんじゃないかと。もともと、そういう機能は無いものだと考えると、ヒトの世の中は結構すっきり理解できるような気がします。 「心の理論」なんか無くても普通に生きていけますからね。先天的に「心の理論」が欠損している病気ってあるんでしょうか?自閉症は、「心の理論」より前から症状出てるから違いますよね。遺伝性こころ欠損疾患って無いでしょう?なら、「こころ」はハードウェアというより、ソフトウェアのレイヤーの事象ではないかと。
そう考えると、宗教の説く慈悲のこころなんかは、わざわざ言葉にして始終大事だって自分に言いきかせないといけないのは、当然ですよね。だって、「心の理論」を常時実装して走らせるには、それを起動して、脳のリソースを大量に消費しないといけない。そういう負荷は脳にとって嫌だから、脳は積極的に理屈をこねてさける。だから、気を抜くと「心の理論」アプリは落ちる。落とさない為には、気を抜けないってことです。実に簡単。
別に「心の理論」なんかを使わなくても、ほどほどの適応行動はできるし、そっちの方が楽。多分殆どのヒトがそういう生き方をしているんじゃないでしょうか。よっぽど時間があるとか、余裕が出てこないと、「心の理論」を常時実装した生き方は出来ないんでしょう。だから出家して、そのことばっかり考えないと慈悲は発現しないんでしょう。社会のルールというのは、「心の理論」がなくても、それに従えば世間的にOKですよというものを定めた、ありがたいものなのかもしれません。